(「トヨタHP」より)
妻は夫を傷つけないように懇願し「日本車を買ったのは間違っていました。もう買いませんから」と言ったという。だが、男性は頭を殴られ、一時、意識不明となった。
日本政府が尖閣諸島を国有化したことに反発する反日デモは、現地に進出する日本企業を標的とした。工場は壊され、日本車はひっくり返され、火をつけられた。
日本自動車工業会の豊田章男会長(トヨタ自動車社長)は9月20日の定例記者会見で、トヨタ車などが破壊されている映像を、「見るに堪えない。自分の体が痛めつけられているようだ」と嘆いた。
トヨタにとって中国は鬼門だ。2011年の中国の自動車市場でのトヨタの販売台数は88万台で、シェアは5%前後。米ゼネラル・モーターズ(GM/販売台数254万台)や独フォルクスワーゲン(VW/同225万台)に大きく引き離され、日産自動車(同124万台)の後塵を拝してきた。業界では“鄧小平の呪い”と囁かれている。
中国の最高指導者、鄧小平(当時・副首相)は78年10月、日中平和友好条約の批准書交換のため中国首脳として初めて来日し、昭和天皇や政府首脳と会談した。新日本製鐵の君津製鉄所、東海道新幹線やトヨタ自動車、松下電器産業(現・パナソニック)などの先進工場&技術の視察を精力的にこなした。この訪日で鄧小平が目の当たりにした日本の躍進ぶりが、後の改革・開放政策のアクセルの役割を果たしたといわれている。
鄧小平の要請で新日鐵は、上海の宝山製鐵所の建設支援を決定。松下電器は、北京でブラウン管のカラーテレビの合弁工場をつくった。
だが、トヨタは中国進出の要請を断った。これに対し、帰国した鄧小平は「今後30年間、中国大陸でただの1台も(トヨタの)車を作らせるな」と部下に言い渡したと伝えられている。トヨタ首脳が「中国人がうちの車を買えるようになるまで、一体、何年かかるでしょうか」と冷笑したのが原因とされる。
もちろんトヨタは、こうした噂を否定しており、これは一種の都市伝説だったのかもしれないが、“鄧小平の呪い”が一定の説得力を持つほど、中国とトヨタの関係は友好とはほど遠かった。80年代、中国からの再三の進出要請にもかかわらず、トヨタは中国に目を向けなかった。トヨタが最優先したのは北米市場だった。ソデにされた恨みを中国側は決して忘れなかったようだ。