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戦後唯一の経営破綻した都市銀・北海道拓殖銀行

バブルの象徴がまたひとつ…拓銀を潰したカブトデコムの正体

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ホテルというかまるで要塞のウィンザーホテル洞爺
(「Wikipedia」より)
 旧・北海道拓殖銀行(拓銀)破綻の原因の一つとなった建設・不動産会社、カブトデコム(札幌市)が2月末に札幌市内で臨時株主総会を開き、解散を決議した。かつて拓銀と二人三脚でリゾート開発を進めてきた「バブルの象徴のような会社」が、やっと幕引きとなった。特別清算を裁判所に申請、清算人には安田好弘弁護士を選んだ。臨時株主総会には、創業者である佐藤茂会長は欠席した。負債総額は2012年9月末時点で5060億円。近年、実質的な業務は行われておらず、残務整理のために会社だけが生き残っていた。

 08年夏の北海道洞爺湖サミット(第34回主要国首脳会議)のメイン会場になった、ザ・ウィンザーホテル洞爺を作ったのがカブトデコムだ。このホテルの前身はカブトデコムの子会社、エイペックス(札幌市)が93年6月に開業した会員制の高級ホテル、エイペックス洞爺(洞爺湖町)だ。97年11月、北海道拓殖銀行が経営破綻。エイペックスも98年3月に自己破産を申請した。負債総額は949億円だった。

 同ホテルに救済の手を差し伸べたのが警備保障会社、セコムの創業者、飯田亮・最高顧問。00年、セコムグループのセコム損害保険の子会社、十勝アーバンプロパティーズ(本社東京)がホテルの土地建物を60億円で購入、施設を改装し、02年6月に営業を再開した。正式名はザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパという。

 洞爺湖サミットの会場になったのは、飯田氏の人脈が生きたからだったようだ。安倍晋三・前首相(当時、病気で退陣後)の縁戚であったウシオ電機会長の牛尾治朗氏の働きかけがあったといわれている。牛尾氏と飯田氏は極めて親しかった。

 カブトデコムが洞爺湖畔での大規模なリゾート開発の構想を打ち出したのは、バブル真っただ中の89年のこと。第1次計画では11階建て405室のホテル、全長2.5キロメートルのスキー場、36ホールのゴルフ場を建設。第2次計画で洞爺湖沿いに体験型水族館、マリンスポーツ基地、フィンランド村を建設する予定だった。

 総事業費は1000億円。拓銀が全面支援する。運営はカブトデコム・グループの甲観光(かぶとかんこう。のちにエイペックスに商号変更)が担当する。事業費の弁済は、リゾート会員権の販売で賄う計画だった。会員権は法人・個人向けの1500口(第1次募集分)で、1口の平均価格は3000万円。巨大なこの施設は、頂点を意味するエイペックスと名付けられた。

 93年6月、ホテル、スキー場、ゴルフ場を持つエイペックスリゾート洞爺がオープンした。第1次計画だけで、事業費は665億円に膨らんだ。バブル経済は崩壊。売れた会員権は1000口を下回り、売り上げは350億円にとどまった。1口4800万円と値付けされた第2次会員権の販売は凍結に追い込まれた。

 拓銀は事業資金を融資するだけにとどまらず、計画段階からカブトに行員を派遣した。リゾート会員権の販売は拓銀傘下のたくぎん保証が扱うなど、文字通り、拓銀直轄の事業となっていたのである。

 カブトデコムの創業者・佐藤茂氏は1946年5月、北海道空知管内の沼田町にあった明治鉱業昭和鉱業所の炭住(炭鉱に付属していた住宅)街で生まれた。父は炭鉱の事務員。65年、旭川工業高校土木科を卒業、北海道最大手の土木会社、地崎工業に入社。71年、24歳で脱サラ。「スコップ6丁と従業員2人」で、カブトデコムの前身である兜建設をお越した。当初は道路工事など小規模な土木工事を手掛けていたが、建築部門に進出してマンションの分譲を手掛けるようになる。