それに対してフィーチャーフォン(ガラケー)やスマートフォン(スマホ)で遊べるソーシャルゲーム市場は、家庭用ゲームに取って代わる新勢力として注目を集めてから数年で、早くも成熟期を迎えた感がある。ソーシャルゲーム二強のうちグリーは200人ものリストラを敢行し、一方のディー・エヌ・エーも連続減益を重ねており、任天堂を過去の遺物に追いやる鼻息の荒さは影を潜めた。
しかし、この一連の流れが定着するというには、まだ根拠が弱い。Wii Uの好調は任天堂の切り札的なソフト『スーパーマリオ3Dワールド』の発売にブーストされた一過性のものかもしれないし、ソーシャルゲームの不調はガラケーからスマホへ、開発コストも安くて乱造しやすいブラウザゲーム(Webブラウザで遊ぶゲーム)から高度な技術力が求められるネイティブアプリ(ダウンロードして使うもの)への移行に伴う「生みの苦しみ」にすぎないという見方もできるからだ。
一人遊びを求める流れ
しかし、これまで一方通行だった家庭用ゲームからソーシャルへの“進化”と思われたものに逆行する動きは、さらに“次”の変化への予兆かもしれない。1991年に登場した対戦型格闘ゲーム『ストリートファイター2』(カプコン)によってゲームセンターが格闘ゲーム一色に染まり、当時素人だったソニーが投入したPSは、それまでドット絵だったゲームを3Dグラフィックスの世界へと塗り替えた。熱狂も飽きも早いエンタメの極北であるゲームにおいては「時代への逆行」が次の主流となることも珍しくない。
Wii Uが死の淵から蘇ったことの根底にあるのは、「一人遊び」するゲームの復権ではないか。つまり他のプレイヤーと協力してボスと戦ったり、友達との義理でやめるにやめられないといったシガラミもなく、自分の内から湧き上がる欲求に従って心ゆくまで遊べることを求める流れがあると考えられる。ソーシャルゲームにおいて人付き合いを前提として遊ぶことと正反対の、任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)以来のゲームのあり方だ。
大ヒットしたオンラインゲーム『パズル&ドラゴンズ』(ガンホー・オンライン・エンターテイメント)も、実はソーシャル性はほとんどない。プレイヤー同士の対戦もないし、他人と順位を競い合うランキングもなければチャットや掲示板などのコミュニケーション機能もない。ゲームをやるときは一人で静かに、ということだろうか。
また、「一人遊び」の時間は何者にも邪魔されずにゲームに没頭したい。ソーシャルゲームは基本無料とする代わりに一定のスタミナを設定して、それが尽きると回復するまで遊べず、すぐに遊びたい人向けに有料の回復アイテムを用意しておく。あるいは、非常にクリア条件を厳しくしておいて、それなしには攻略が不可能な有料アイテムをショップに並べる。「プレイの邪魔をする」ことをマネタイズの手がかりとしているわけだ。
こうした課金しなければゲームを進めにくいという要素を「一人遊び」が好まれやすい家庭用ゲームに入れれば、激しい拒否反応を呼び起こすのは火を見るより明らかだ。そのわかりきったことを、バンダイナムコゲームスはPS3用ゲームソフト『ジョジョの奇妙な冒険 オールスターバトル』で取り入れた結果、ソフトの評価も実売価格も暴落してしまった。「基本無料だから許されるやり方を、8000円で買わせたパッケージに持ち込むとは何ごとか」と通販サイトのレビューも大炎上である。同社は同じ手法を用いて『アイドルマスターシンデレラガールズ』で、ひと月に10億円近い利益を上げた過去があり、成功体験が裏目に出たといえる。
「一人遊び」のゲームが今後の主流となるか?
任天堂もゲーム内でのダウンロード販売を始めてはいるが、売り物はアイテムではなく追加マップやシナリオといった“コンテンツ”(DLC)で、あると便利だがそれがなくともゲームは本編だけで成立している。「一人遊び」を貫く方針にブレはない。
マネタイズについての「ソーシャルと家庭用ゲームの融合」の試みは、今年も確実に失敗し続けるだろう。もっとも、ネット以前の「一人遊び」にももともとソーシャル性はあった。前日の晩に遊んだゲームの進み具合を学校の休み時間に自慢し合ったり、ロールプレイングゲーム『ドラゴンクエスト2』(スクウェア・エニックス)の「水門のカギ」の場所を電話で聞いたり、ゲームにはカネを抜きにしたコミュニケーションがつきものだ。Wii Uとニンテンドー3DSに内蔵されているソフト『Miiverse』は、そのようなコミュニケーションをネット越しのワールドワイドに広げ、世界中でゲーム体験を共有し合うサービスである。
しかし、莫大な開発コストのかかる家庭用ゲームソフトを、アイテム課金なしで出し続けるには、かなり体力のあるメーカーでなければならない。「一人遊び」の風が吹いているとしても、しばらくは任天堂の孤軍奮闘となりそうだ。
(文=多根清史)