電子部品メーカーの浜松ホトニクス(通称・浜ホト)は、ノーベル賞受賞に3度貢献した。最初は2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏のケース。ニュートリノ観測装置「カミオカンデ」に用いた光電子増倍管を開発。次は13年にピーター・ヒッグス氏がノーベル物理学賞を受賞した際の半導体検出器。
そして今回、ノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章氏をサポートした。
10月6日、ノーベル物理学賞の栄誉に輝いた東京大学宇宙線研究所長の梶田隆章氏は謙虚に「チーム力」を強調し、観測を重ねた岐阜県高山市のスーパーカミオカンデの関係者らを労った。
スーパーカミオカンデは、受賞理由である「ニュートリノに質量があること」を突き止めた施設。施設の目に相当する光電子増倍管を手掛けたのが、静岡県浜松市で光検出機器をつくっている浜ホトだ。同社のホームページで、光電子増倍管の開発秘話を読むことができる。
小柴博士からの依頼で光電子増倍管を開発
梶田氏の師匠である小柴氏は02年にノーベル物理学賞を受賞した。受賞理由は、史上初めて、自然界で発生したニュートリノの観測に成功したこと。観測の舞台となったのが、小柴氏自身が設計を指導・監督したカミオカンデという素粒子観測装置だった。
最初は米国製の光電子増倍管を使用していたが思うような成果が得られず、浜ホトに特注の光電子増倍管の開発を依頼。試行錯誤の末に、直径20インチという増倍管を量産することに成功した。当時、20インチの光電子増倍管は誰もつくっていなかった。
浜ホトの光技術は、小柴氏のニュートリノ観測成功に貢献した。これを境に浜ホトの評価は世界中で高まり、世界各地の最先端研究所から開発の依頼が相次ぐようになった。
「神の粒子」の発見に貢献
13年、ヒッグス氏のノーベル物理学賞受賞理由となった「神の粒子」ことヒッグス粒子の発見は大きな話題になった。神の粒子の発見の舞台となった欧州原子核研究機構(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)でも、浜ホトの光技術が大きな役割を果たした。
浜ホト以外に、CERNが求める水準の製品を作れる企業がなかったからだ。浜ホトは加速器に設置する4つの大型検出装置に使われる半導体検出器と、信号を増幅する光電子増倍管を開発した。納品に至るまで3年間、困難を極めながら完成へたどりついた。
CERNの正面玄関には「Hamamatsu」の名前が刻まれたプレートが飾られている。神の粒子の発見に貢献した勲章である。
「日本のテレビの父」、高柳健次郎の技術の流れを汲む
浜ホトは会社紹介の冒頭にテレビ技術の祖、高柳健次郎博士の技術を汲んだ会社であることを高らかに謳う。
高柳氏は浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)の助教授時代の1926年、世界で初めてブラウン管に「イ」という映像を映し出すことに成功。「日本のテレビの父」と呼ばれている。
高柳氏の門下生である堀内平八郎氏が53年、浜松テレビを設立。テレビの真空管の製造を始めた。高柳氏(のちに日本ビクター副社長・技術最高顧問)がテレビ開発に携わっていた日本ビクターの関連企業となった。
転機は79年。東京大学理学部教授だった小柴氏から、物理観測実験に使う大口径光電子増倍管の開発依頼を受けたこと。これが初代カミオカンデ用の機器だ。従業員を総動員で開発に当たり、83年の観測開始にこぎ着ける。そして87年、人類初のニュートリノの観測に成功するという偉業に導いた。光電子増倍管はヒッグス粒子とニュートリノの検出に大きな役割を果たした。光を増幅させ電気信号に変えて出力する光センサーだ。
これを機に光電子(Photo-Electronics)技術の究極を目指して83年4月、浜松ホトニクス株式会社に改名。翌84年、日本証券業協会に株式店頭登録。96年東証2部上場、98年東証1部に指定替えになった。
浜ホトの主力製品である光電子増倍管は現在、世界シェア90%を占める。浜ホトは小さな巨人なのである。
過去最高益を更新
浜ホトには、光技術だけで2000を超える製品がある。身近な製品では自動販売機やATMなどの紙幣選別センサー、自動車の自動ブレーキセンサーやオートエアコンの日射量センサー、医療分野においては血液検査、CTやMRIなどの測定装置に使われている。
業績は好調で、15年9月期の連結売上高は前期比10.9%増の1243億円、営業利益は16.3%増の252億円、純利益は20.7%増の183億円の見込み。売り上げ、利益とも過去最高を更新する。
主力の光電子増倍管は感度の高さなどが評価され、血液分析に使う検体検査装置など医療機器向けを中心に国内外で伸びた。売上高営業利益率は20.3%で日本有数のエクセレントカンパニーである。
浜ホトは世間的には無名に近い会社だが、世界に誇るべき光技術を持つ、「技術立国ニッポン」を代表するメーカーなのだ。
(文=編集部)