リニア中央新幹線の静岡工区の着工ができずにいる。有識者会議の中間報告が大きな節目だったが、先行きが見通せない状況に変わりはない。2027年開業に向けた建設作業はすでに1年半遅れており、「開業が29年以降になるのは必至の情勢」(関係者)だ。
JR東海と大井川の水量など水問題を懸念する静岡県との対立が続いているためだ。国土交通省の有識者会議はJR東海の主張に沿った中間報告をまとめたが、静岡県側は「議論不足」として対決姿勢を崩していない。
JR東海の金子慎社長は2021年12月22日、名古屋市で開いた定例記者会見で、27年の開業が困難になっているリニア中央新幹線の東京・品川―名古屋間の見通しについて「めどが立っているわけではない」と改めて述べた。静岡県や流域市町との協議に関しては、「地域の理解と協力を得るためにさまざまな取り組みをしなければならない」と対話を重視する姿勢を強調したが、基本的には「中間報告を踏まえ、しっかり対応したい」(金子社長)ということだ。
リニアは2014年、国の認可を受けて着工した。静岡県を通る区間は長さ25.0キロメートルの南アルプストンネル内の10.7キロメートルだ。南アルプストンネルを掘れば、水は山梨県側に抜ける。トンネル工事により8市2町の約60万人が利用する大井川の水量が減る恐れがあるとして、静岡県の川勝平太知事が県内の工事の許可を出していない。
20年4月、国交省は水問題をめぐる有識者会議を立ち上げ、21年12月19日、有識者会議は中間報告をまとめた。同報告書によると「工事で出た湧き水を導水路ですべて川に戻せば、中下流域の流量は維持される」と結論づけた。静岡県は工事中に湧き水の一部が山梨県側に流出することを懸念していたが、有識者会議は「山にたまっている豊富な地下水によって流出分は補われる」とした。JR東海の主張に沿った結論になっている。
ただ、大井川流域の住民が水不足で苦労した歴史や、これまでのJR東海の説明では地元の納得を得られなかった経緯を踏まえ、「地域の不安や懸念が払拭されるよう真摯な対応を継続すべきだ」と報告書は指摘した。
斉藤鉄夫国交相は12月21日、JR東海の金子社長と会い、静岡工区の未着工問題を解決するために地元の懸念払拭に務めるよう行政指導を行った。国交相が企業のトップを呼んで口頭指導するのは、法令違反などがないケースでは異例なことである。
JR東海と静岡県の溝
大井川の流量の減少を懸念する静岡県が悪しき先例として挙げるのは、東海道線丹那トンネル(静岡県熱海市函南町、1934年開通)である。この工事では大量の湧水が発生し、周辺が水枯れしただけでなく、67人が水の犠牲になった。この地元で語り継がれている悲劇が、大井川流域の住民や自治体がリニアの南アルプス工事を危惧し、県が着工に同意しない一因となっているとされる。
「(トンネル工事の)掘削中に出る湧水の戻し方が一行もかかれていない」
「生態系への影響などが議論されていない」
中間報告に対して静岡県の川勝知事は12月20日、県庁で問題点をえぐり出し、地元の理解が得られるまで着工しないようJR東海に改めて求めた。中間報告は「工事で生じる湧水を大井川に戻せば中下流域の維持は可能。地下水への影響は軽微」としている。だが、肝心要の県外に流出した湧水を戻す方法については「JR東海と地元が協議する」と表記するだけにとどめていて、具体策には踏み込んでいない。
JR東海の金子社長は12月22日の記者会見でリニア中央新幹線の開業が難しくなっているのは、「静岡工区の着工ができていないからだ」と改めて指摘した。静岡県の難波喬司副知事は同日、県庁で報道陣の取材に応じ「着工の遅れは静岡のせいではない」と強調。「JR東海の説明が不十分だったことが原因だ」と、JR東海の対応を批判した。「(中間報告書は)我々が懸念していたところは十分反映していただいた」(難波副知事)としながらも「JR東海への地元の信頼は低い」(同)と辛辣だ。JR東海と静岡県の溝は埋まっていない。
リニア工事で初の死者
リニア中央新幹線で崩落事故は発生していたが、死者が出たのは初めてのことだ。21年10月27日午後7時20分ごろ、岐阜県中津川市瀬戸にあるリニア中央新幹線瀬戸トンネルの工事現場で崩落が起きた。岐阜県警とJR東海は「発破作業後の点検で非常口にいた5人のうち作業員2人が巻き込まれ、福井県美浜町の小板孝幸さん(44)が死亡、愛知県長久手市の男性(52)が左足を骨折する重傷を負った」と発表した。瀬戸トンネルは本線トンネルが長さ約4.4キロメートル、本線への資材搬入に使う非常口トンネルが長さ約0.6キロメートルで、19年に着工した。
21年11月にも事故が発生した。11月8日午前8時20分ごろ伊那山知トンネル(長野県豊丘村)の工区で起きたとJR東海が発表した。斜坑と呼ばれる作業用トンネルを200メートルほど掘削した先端で、発破用の火薬を装填していた最中、作業員の1人が異常に気付き待避を指示。幅約6メートル、高さ5メートルにわたって掘削面が崩れ、待避中の50代の作業員が土砂をかぶった。右脚のふくらはぎ筋肉の炎症だった。リニア工事では17年12月、長野県中川村の県道脇で、19年4月、岐阜県中津川市の非常口トンネル入り口付近で事故が起きた。
事故の多発に、岐阜県知事が「リニア工事中断の継続」を要望する事態に。岐阜県の古田肇知事は21年11月29日、名古屋市のJR東海本社で金子社長と会い、長野、岐阜両県のリニア中央新幹線のトンネル工事で相次いで事故が起きたことを受け、「原因究明と再発防止策が講じられるまでは岐阜県内のトンネル工事を再開しないよう」求めた。
JR東海は21年12月27日、作業員2人が死傷した中津川市のリニア崩落事故の調査結果と再発防止策を発表した。工事は奥村組など3社で作る共同企業体(JV)が担当。下請け業者が実際の作業をしていた。国のガイドラインでは崩落事故を防ぐために作業の手順書を作成することになっていたが、「作業手順書に記載されていない事項があって国の指針への対応が不十分だった」とした。
JR東海は「指針を守るのは奥村組JVの責任で、JR東海の監督業務などに落ち度はなかった」と説明した。「今後はJVと一体で再発防止に取り組む」とした。再発防止策として防護マットの設置などの安全対策のほか、現場監視を強化する。JR東海と工事業者で構成する中央新幹線安全推進協議会で対策を共有するとした。
大深度地下工事に住民が懸念
リニア工事の相次ぐ事故で工区の沿線の住民から反発の声が挙がる。JR東海は21年10月14日、リニア工事の一環として、東京都品川区の深さ40メートル以上の大深度地下で、シールドマシン(大型掘削機)を使った作業に着手した。リニアでの大深度地下工事は初めてである。
東京・品川―名古屋間の286キロメートルのうち、都内や川崎市の33キロメートルと名古屋市の17キロの工事は、直径14メートルのシールドマシンを使用したシールド工法で行うことを決めている。大深度地下工事をめぐっては20年10月、東日本高速道路(NEXCO東日本)による東京都調布市内の東京外かく環状道路地下トンネルのルート上で、陥没や空洞が見つかった。JR東海はリニア工事の住民向けの説明会で「外環道の陥没場所に比べて対象工区の地盤は締まっている」と説明していた。
国交省は調布市の陥没事故を受けシールド工法の検討会を21年9月28日に開いた。工事を急ぎたいJR東海は10月14日、「試掘」と称して工事に着工した。品川区にJR東海から「試掘をやる」という連絡があったのは、着工する3日前の10月11日だという。JR東海はシールド工法によるリニア初の大深度地下工事に踏み切ったが、その直後に岐阜県内のトンネル工事で事故が相次いだことになる。
静岡工区の南アルプストンネル工事は全長25キロメートル、地表から最大1400メートルの深さを掘削する日本の土木史上、比類のない難工事とされている。突発湧水や崩落など、未知の地層に穴を開けた結果、何が起きるのかについては、「正確には把握できない」というのが専門家たちの意見だ。
最難関となる工区の工事に入る前の段階で、事故を相次いだことになる。大深度地下におけるシールド工法を含めて、JR東海のリニア工事は数々の難問に直面している実態が露わになった。
国としても財政投融資から3兆円を貸し付けている。リニアの沿線の自治体は中長期的な街づくりの一環としてリニアを位置付けている。だからこそ、高度な政治的な判断が必要になる。
(文=編集部)