鈴木氏が「新製品」と呼んだのは、新社長の米田幸正氏。同会長が自らスカウトした新兵器(?)で、「(今後)米田が利益を出してくれる」と期待しているのである。
エステーの2012年3月期の連結経常利益は、前年同期比45.6%減の8億4100万円に落ち込んだが、13年同月期は前期比78.4%増の15億円へとV字回復を見込んでいる。この重責を担うのが米田氏なのだ。
米田氏は、エステーで3社目の東証1部上場会社社長になるという、サラリーマンとしては実にユニークなキャリアの持ち主だ。
エステーの社長交代に関するニュースリリース(1月31日付)によると、米田氏は1976年3月、北九州市立大学外国語学部卒、同年4月、伊藤忠商事入社となっている。正確には、入社したのは安宅産業。安宅が伊藤忠に救済合併される混乱期で、新入社員の彼は安宅から伊藤忠に移った。
語学力を買われて、自動車のメッカ・デトロイトに駐在。いすゞ自動車とゼネラル・モーターズ(GM)の提携事業を手掛けた。伊藤忠メディア・パーク・ディベロップメント取締役営業統括部長、伊藤忠本体の海外・開発部HUB室室長代理、経営企画ニュービジネス開発室・バイオビジネス開発室プロジェクトスタッフなど、商社マンとして実に多彩な経歴の持ち主だ。これは裏を返せば、はっきりした背番号(食糧なら食糧、繊維なら繊維といった所属部署)がないことと密接に関係している。「人柄は真面目。責任感の強い商社マンだった」と関係者は証言する。
02年1月に伊藤忠を退職し、同年2月、東証1部上場のドラッグストア、ハックキミサワ(03年8月CFSコーポレーションに商号変更)に転職。同社はハックイシダなど3社が合併した会社で、オーナーの石田健二氏から社長室長にスカウトされた。03年5月に社長に就任。しかし、社長時代は”イオン問題”に忙殺されたといってよい。
”イオン問題”とは、小売業については素人の米田氏を社長に起用することに異議を唱えた親会社のイオンに対して、石田氏が「息子を社長にするまでのショートリリーフに適任と判断」(関係者)し、反対を押し切った。その1年半後に石田氏はイオンとの資本業務提携の破棄を表明した。しかしその後、イオンの巻き返しで06年1月、イコールパートーナーシップの名目で提携を継続することになる。