日本経団連の米倉弘昌会長と日中経済協会の張富士夫会長が9月27日、北京の釣魚台迎賓館で日中友好7団体の会長らとともに中国要人と会談する予定になっていた。社用機で中国に向かうはずだったトヨタ自動車会長の張氏は中国航空当局の離陸許可が大幅に遅れ出発を断念した。冷静な判断である。中国に行かなかったわけだ。
失礼千万にも、日中国交正常化40周年を記念した大規模な式典&レセプションを、突如、中止した中国側がセットした会談だった。副首相クラスが出席するといわれていたが、出てきたのは引退が決まっている賈慶林・全国政治協商会議主席だった。日本の新聞は共産党の序列4位と大々的に書いたが、既にお役御免の過去の人である。そのうえに前国家主席の江沢民氏に近い対日強硬派だ。最初から、実のある会議にするつもりは中国側にはなかったということだ。
出発前に「これからいろいろ(日中関係を)再構築しないといけない」と述べていた米倉・経団連会長の意欲だけが空回りする結果となった。
老人の米倉さん、短くすると“米ジィ”は会談後、北京のホテルで日本人記者団に対して「非常にいい会談だった。(日中関係の)解決の糸口がつかめたのではないか」と語っている。「両国にとって受け入れられる(尖閣問題の)解決策を模索すべきだ」と続け、帰国後、野田佳彦首相に柔軟な姿勢で中国と交渉にあたるよう提言すると述べた。柔軟な姿勢とは領土問題の存在を認め、それを棚上げするということなのだろうが、中国側に完全に取り込まれてしまった、この発言が国益を大きく損なっていることにまったく気付いていないようなのだ。
耄碌した老人はだから怖ろしい。飛んで火にいる“米ジィ”の図、そのものではないか。“米ジィ”とは記者会見でも発言が大きくブレる米倉会長に対して、経団連の事務局がつけた呼び名である。
小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝によって日中関係が冷え込んだ時期に、日本経団連の奥田碩会長(当時、トヨタ自動車会長)が極秘に訪中して(それも代表団として訪中し、いったん戻って小泉親書を携えて、すぐに訪中した)関係の修復に動いたことがある。米倉・経団連会長は夢よ、もう一度と考えているのだろうが甘い、甘い。中国側は小泉首相を痛烈に批判したが、現在では「一番信頼できた首相」と言っている。当時の奥田氏と“米ジィ”では経営者として迫力も力量も違う。行かなければ良かったということになるのがオチなのに、丹羽宇一郎・前中国大使に無用の対抗心を燃やす“米ジィ”は中国に行った。そして失言し、中国側に言質をとられた。