セブン-イレブンが業者からノウハウ横取り契約解除? 訴訟の原告「セブンは強奪者」
クリーニング機器。
セブン-イレブン・ジャパン(以下、セブン)の都内23区の店舗と、クリーニング・サービスの提携をしていたCK社(仮名)が、一方的に契約を打ち切られた。契約打ち切り後、セブンは、ほかの会社と提携しており、それまで6年間にわたって築いたノウハウを横取りされたCK社が、セブンを相手取り、東京地裁に損害賠償請求等を求める訴訟を起こした。そして今年1月の一審判決で、セブンの一部敗訴判決が下った。マスコミが報じないこの事件の真相を、裁判資料に基づき詳報する。
原告の戸賀直樹氏(仮名)は、大学卒業後の1960年代後半に西友に入社。80年代後半に、ファミリーマートに転籍し、営業部長、営業企画部長を経て、00年代には、その後の人生を賭けた取り組みとなる「コンビニでのクリーニングサービス」を企画立案し、ファミリーマート社内で試行した。しかし、この事業の拡大には別会社の必要性を感じ、会社に2度提案したが、採用されなかった。そこで戸賀氏は、それを実現するため、長年勤めたファミリーマートを退職したのである(起業はセブンとの契約の後)。
コンビニでのクリーニング・サービスは、どの会社もことごとく失敗してきた。戸賀氏の10年7月時点での陳述書によると、ローソンは過去20年で何度も失敗。セブンも過去2度失敗。サークルKサンクスでは、クリーニング機器の設置面積が10平方メートル以上とスペースを広く取り過ぎで拡大できていないのだという。
それに比べて、戸賀氏が考案した機器の面積は、たったの0.9平方メートル。それが売りだった。
この事業の成功を信じていた戸賀氏は、03年4月に自身の企画をセブン本部の商品雑貨部ECサービス担当であるKというチーフマーチャンダイザーに持ちかけたところ、「コンビニのクリーニングサービスはお客様のニーズが高く、利便性を提供できる。収益性が上がるビジネスモデルにしたい」とK氏は快諾したという。この時期、戸賀氏は、「クリーニング取次仕様提案書」をセブンに提出。担当K氏から「良くできた提案書。ビジネスモデル特許出願は早くした方がいい。『特許出願中』と言えば、社内稟議が通りやすい」と、アドバイスを受け、戸賀氏は特許の取得もしている。
03年11月14日、K氏は「方針稟議が決済された」と言い、鈴木会長から「全国展開の際、工場のネットワークが組織できるのか?」「日販の目標はどのくらいか?」「失敗を恐れず、積極的にチャレンジすること」と話があったという。
04年2月16日、株式会社 CKクリーニング(仮名、以下、CK社)を設立。戸賀氏は社長に就任。同年5月4日、セブンと「約定書」を締結。これはCK社がセブンのベンダーとなる契約書だった。
そしてついに、04年6月21日から、1カ月間に、24店舗でクリーニング取次サービスを開業した。
戸賀氏の考案したクリーニング取次サービスは評判がよく、開業から3カ月で、目標とする平均日販4000円を超えた。すると翌05年1月6日、セブン本部雑貨部統括マネージャーM氏から「鈴木会長から、300店を都内で展開することの内諾を得たので、今後スピードを上げて実行する。重点商品として育てたい」と言われたという。
こうして本格展開したクリーニング・サービスだったが、その後は、思い通りにことが運ばなかった。「城東、城北地区はブルーカラーの居住者が多く、クリーニングの利用者が少なく、販売額が低い店舗が発生した」と戸賀氏は振り返っている。
それは数字にも如実に表れている。取扱店舗数の推移(各年12月時点)は、04年27店、05年81店、06年245店、07年212店、08年212店、09年209店、2010年(4月)204店と、06年をピークに下り坂をたどっている。全国展開はおろか、300店すら達成していない。
09年12月25日、CK社は、セブン本部から、こう告げられた。
「中央ベンダーには、一部上場会社の伊藤忠食品(株)が51%出資している(株)カジタケで行く。経営財務基盤が盤石で、ノウハウもある。CK社には資金と人がなく、投資、運営は無理」
また、「CK社は専用ベンダーではないため、いつでも取引停止できる」とも告げたのだという。