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“天皇”と呼ばれた前経営陣否定で改革するパナソニックの本気度

パナソニックのプラズマテレビ撤退はB2B企業転換への布石!? 改革への大きな一歩

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パナソニック
「パナソニックHP」より
 パナソニックは、激烈な権力闘争が進行中である。津賀一宏社長は3月28日に公表する中期3カ年経営計画で、前経営陣を完全に否定する。

 前経営陣とは“天皇”と呼ばれた中村邦夫前会長(現・相談役)と、中村路線を引き継ぎ、現在の経営危機を招いた張本人、大坪文雄前社長(現・会長)。「中村・大坪体制」のことだ。

 完全否定の象徴といえる決定が、プラズマテレビからの撤退である。パナソニックはプラズマの新規開発を既に中止しているが、プラズマテレビとパネルの生産からも撤退する。

 プラズマテレビの販売台数は2011年3月期が750万台、12年同期は450万台で、13年同期は250万台の計画になっている。来期以降も大幅な縮小は避けられず、撤退を決断した。

 パナソニックにとってプラズマ切りは、単なる不採算事業のリストラとはまったく違う意味がある。プラズマテレビは中村前会長の「聖域」だった。それを切り捨てることは、前経営陣を完全に否定することだからだ。

 社長時代の中村邦夫氏がプラズマテレビの巨額投資を決断したのは03年のことだ。当時、「プラズマは液晶より明るく、映像の比較でも優れている」というプラズマ信仰があった。尼崎第1工場が稼動した05年には、誰の目にもプラズマが液晶に敗れたことは明らかだった。しかし、中村氏だけがプラズマにこだわり続けた。

 00年以降、松下電器産業(現パナソニック)を経営危機から救ったカリスマ経営者、中村社長に楯突く役員がいるわけがなかった。中村氏から06年にバトンを引き継いだ大坪文雄社長もプラズマ拡大路線を踏襲した。第1工場に続き、第2工場、第3工場と巨大なプラズマ生産工場を稼動させた。尼崎の3工場に投じた総額は6000億円に上った。広大な敷地にそびえ立つ3工場は「プラズマ拡大路線」の象徴であった。

「プラズマからの撤退なくして、パナソニックの再生はなし」。プラズマからの撤退を最初に提案したのは、AV機器部門のトップ、AVCネットワーク社長当時の津賀一宏氏だった。「週刊東洋経済」(12年5月19日号)に、こんなエピソードが紹介されている。

「『戦艦大和だ』――。11年春、尼崎のプラズマパネル工場を視察した津賀は思わず、こう口にしたという」。

 行動は早かった。

「(11年7月の役員会で、津賀氏は)『尼崎第3工場を止めるべきだ』と発言した。中村-大坪路線の完全否定である。役員陣は驚愕し、会議は荒れに荒れた。だが3カ月後、パナソニックは2100億円を投じた尼崎第3工場の停止を発表する。稼動してからわずか1年半後のことだった(東洋経済より)」

 大坪社長から「自分の役割は終わった」としてバトンを託された津賀氏は、12年6月末の株主総会後にパナソニック本体の新しい社長に就任した。