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ソニー、エレキ事業の弱体化と人材喪失を招いた、19年前の誤算 トヨタとの対比

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ソニー、エレキ事業の弱体化と人材喪失を招いた、19年前の誤算 トヨタとの対比の画像1ソニー本社(「Wikipedia」より/Shuichi Aizawa)
「企業は人なり」といわれる。経営トップひとりによって、企業経営は成長路線に突き進む一方、経営破綻にも直面する。今回、経営再建のために世界的な「VAIO」ブランドを展開するPC事業を日本産業パートナーズに売却を決めたソニーだが、その凋落の原因の源泉は、皮肉にもそのVAIO事業をスタートさせた元CEO(最高経営責任者)の出井伸之氏にあった。

 出井氏は今から19年前の1995年6月、広報担当常務取締役から14人抜きの抜擢人事でソニーの代表取締役社長に就任した。指名したのは、それまで13年間社長を務めた大賀典雄氏だった。当時、出井氏を後継者に指名した理由について筆者が大賀氏に尋ねると、こういう答えが返ってきた。

「出井君を後継者に決めたのは、僕と同じように5カ国語をしゃべり、外国人とも対等に議論できる優れた国際感覚を持っているからなんだよ」

 しかし、これはあくまで建前だった。大賀氏が本当に後継者にしたかったのは、専務時代にハンディカムの開発で大ヒットを飛ばし、93年に副社長に昇進したM氏だった。しかし、次期社長候補最有力だったM氏の女性スキャンダルが週刊誌で大きく報じられると事態は一変。最後までM副社長をかばい後継者にしようとしていた大賀氏も遂にM氏への社長指名を断念し、出井氏に白羽の矢を立てたのである。大賀氏は晩年、筆者にこう語っている。

「(創業者である)盛田(昭夫)さんから、君の次の社長はエンジニア出身の人間を選んでくれ、と約束されていたので、最初から実績のあるM君を後継者に決めていた。しかしマスコミにいろいろ書かれて、どうにもいかなくなってしまった」

 大賀氏はもともとバリトン歌手でありながら、ソニー創業者である井深大氏と盛田氏から直接、三顧の礼をもってソニーに迎えられた異例のキャリアを持つ。その後、CBSソニー社長時代に同社を一流企業に育て上げた実績を買われ、82年8月に結腸がんで急逝した岩間和夫社長の後を継いでソニー社長に就任している。モノづくり(ハード)で躍進してきたソニーにあって、大賀氏はバリトン歌手という音楽(ソフト)に精通した異例の社長だった。大賀氏が社長時代にソニーに残した足跡は、まさに「ハードとソフトの両輪経営」(大賀氏)だった。
 
 その大賀氏が苦渋の選択の末に後継者として選んだ出井氏は、それまでソニーが失敗続きだった鬼門のPC事業に改めて参入。新たにVAIOブランドを立ち上げ、その斬新なスタイルとソニーのお家芸である「世界初」「世界最小」を体現したプレミアムモデルとして世界市場を席巻した。出井氏は、瞬く間に世界屈指の名経営者という高い評価を得ることになった。

●IT事業への傾倒

 しかし、そこに落とし穴があった。大賀氏は晩年、次のように振り返っている。

「ソフトバンクの孫正義社長の誘いに乗って衛星放送事業やIT事業に過度にはまり、エレクトロニクス事業の技術者を数百人単位でプロバイダー事業のSo-netに転籍させた。このことがソニーのエレクトロニクス事業の活力を失わせていく原点になった」

 So-netはVAIOと同じ96年にサービスを開始したが、ライバル社のプロバイダー事業の後塵を拝し続けてきた。それでも出井氏はエレキ部門からIT部門への経営資源の移籍を加速していった。一方、大賀氏は会長として経営に直接口を挟むことで社内が2頭政治になることを避け、対外的な財界活動やオーケストラ指揮者など自身の音楽活動に専念し、できるだけ出井氏の経営判断を尊重してきた。さらに2000年に到来した一時的なネットバブル時代が、ソニーの深刻化しつつあったこうしたモノづくりの弱体化という経営問題を覆い隠し、根本的な対応を遅らせることになった。

 00年4月、筆者はこの年の6月に会長になる出井氏をソニー本社に訪ね、世界的に高い評価を受けているVAIOの将来性やソニーの経営課題などを尋ねた。すると出井氏は意外なことにこう口を開いた。

「実は僕のVAIOも、よくフリーズするので困っているんだ」

 この言葉に、一瞬耳を疑った。それはVAIOに技術的な問題があるのか、部品供給体制に不備があるのか、それともソニー自体の研究・開発力が低下しているのか。私の疑問に、出井氏は明確には答えなかったが、この1年前にソニーのCEOに就任したばかりの出井氏が口にしたソニーのモノづくりへの不安の予兆は、すでにこの時、水面下で深く進行していたのである。

●トヨタとの対比

 そんな最中、さらに思いもよらぬ不幸がソニーを襲った。大賀氏が01年11月、北京でのオーケストラ指揮中に倒れ、長期の療養生活を余儀なくされたのである。

 大賀氏の心配したソニーのモノづくり力の低下は、やがて03年の深刻な業績悪化になって表面化し、いわゆる「ソニーショック」が世界を駆け巡った。主因は主力のテレビ事業が大幅な赤字に転落したためだが、世界的ブランドに成長したVAIO製品にも陰りが見えるようになってきた。その後テレビ事業は、95年に出井氏からハワード・ストリンガー氏、さらに平井一夫氏へとCEOが引き継がれたものの、今日までの10年以上も赤字体質から脱却できない泥沼状態に陥り、今回、VAIO事業の売却とともに本社から切り離され、分社化に追い込まれることになった。

 ここに面白い対比がある。昨年、2年ぶりに世界販売台数で首位に返り咲いたトヨタ自動車だが、今から64年前に経営破綻寸前まで追い込まれたことはあまり知られていない。その反省に立って、トヨタは「モノづくりの前に人づくり」というスローガンのもと、徹底した原価低減と品質管理で世界一の自動車メーカーに上り詰めている。

 一方、ソニーのPC事業は、事業をスタートさせた出井氏自身が経営資源の選択集中の判断を誤り、優秀な人材の流失や独自のモノづくりの活力を低下させる結果を招いてしまった。

「盛田さんとの約束であった“モノづくりのわかる後継者”を指名できなかったことは、今でも後悔している」

 大賀氏が晩年、言い残したこの言葉が今でも耳に残っている。その後、大賀氏は体調を崩し、11年4月、81歳で死去した。
(文=水島愛一朗/経済ジャーナリスト)

●水島愛一朗(みずしま あいいちろう)
1958年、東京都生まれ。経済ジャーナリスト。企業の創業家をテーマに経営トップをインタビュー。主な著書は『豊田章男「トヨタ」再生!』『豊田家と松下家』『村上ファンドの研究』『御手洗冨士夫が語る キヤノン「人づくりの極意」』など多数。

BusinessJournal編集部

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