新宿駅に近い賃貸マンションの一室で男性が倒れているのを、その妻が発見したのは8月末のことだった。急ぎ病院に運ばれたものの、ほどなく医師により死亡が確認されたという。
公安が妻のもとに現れたのは、それから間もなくのこと。本来、裁判所の押収令状なしに警察が私人の所有物を押収することはできない。しかし、なぜ公安は彼の家にやってきたのか。週刊誌記者は次のように話す。
「死亡した男性は、『天才ハッカー』のウラジミール(Vladimir)氏だったのです。同氏は、表向きにはウェブデザイン会社の経営者でしたが、実際には内閣情報調査室や米国防情報局(DIA)の依頼を受けて、中国や北朝鮮の情報を集めていたといわれています。公安は、この証拠隠滅のためにパソコンを回収しに来たのです」
「ウラジミール」とは、あくまで彼が原稿を執筆した際のペンネームだ。同氏はれっきとした日本人である。経歴は公にされていないが、10代からコンピュータ・プログラミングを独学し、英語や中国語、韓国語など5カ国語を操りながら、世界中のハッカーと交流していたといわれている。そうして、インターネット黎明期には、日本人ハッカーの第一人者として、名の知れた存在となっていた。
また、ウラジミール氏は『スーパーハッカー入門』(2000年/データハウス)や『チャイナ・ハッカーズ』(14年/扶桑社)などを上梓し、自身でも北朝鮮情報サイト「NORTH KOREA TODAY」を主催するなど、情報発信も積極的に行っていた。
ウラジミール氏と交流のあったインターネットセキュリティ専門家は、同氏の“業績”について、こう付け加える。
「公安当局が彼に近づいたのは、1990年代のこと。彼のハッキング技術を目的に取り込もうとしたようですが、彼が提供していた情報は『検索』によるものでした。語学力とビッグデータ処理能力を使って、各国に散らばる情報を取りまとめていただけだったんです。
もちろん、ウラジミールは確かに凄腕のハッカーでした。しかし、00年に不正アクセス禁止法が施行されてから、彼はハッキングを一切行っていないと思います。これは、本人が断言していますので、彼の名誉のために言っておきたい」
防衛省、警察庁にも技術提供
しかし別の関係者は、「ハッキング自体を行わずとも、彼の影響力は絶大だった」と話す。
「米国政府は14年5月に、中国人民解放軍サイバー部隊の幹部を起訴しているのですが、実はウラジミール氏は、これにも一役買っていました。ハッキングの手口を熟知する彼が、中国サイバー部隊の所在地と実行者を特定していったのです。
そして現実主義者の彼は、早くから日本の安全保障政策に強い関心を向けていました。そのため、公安当局からの依頼も『日本のため』という気持ちで引き受けていたのでしょう。実際に、彼はハッカー集団アノニマスによる日本政府への攻撃をやめさせたこともあります。防衛省や警察庁のサイバーセキュリティ関係者も彼の下に日参して、対ハッキング技術を習得していたほどです」
前出の週刊誌記者によれば、ウラジミール氏が保有していた公安当局とのつながりを示すデータは「すべて回収された」という。
ウラジミール氏と公安当局との関係や、彼が日本のサイバー防衛に与えた功績は、今後も世に出ることはないのだろう。それが、情報の世界に生きてきた者の宿命だからだ。しかし、だからこそ、名もなき戦士には「名誉」という形で応えるのが、国の責務というものではないだろうか。
ウラジミール氏の冥福を祈りたい。
(文=編集部)