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クレディセゾン、“盟友”みずほと決別…クレジットカードというビジネスの限界迎え土壇場

文=編集部
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クレディセゾン、“盟友”みずほと決別…クレジットカードというビジネスの限界迎え土壇場の画像1「Getty Images」より

 クレジットカード大手、クレディセゾンは3月1日付で山下昌宏専務が社長兼最高執行責任者(COO)に昇格した。林野宏社長は代表権のある会長に就任し、最高経営責任者(CEO)を兼任する。社長交代は実に19年ぶりだ。

 昨年には山下氏の主導で、懸案だった24時間365日オンライン処理が可能な新システムへの移行を終え、節目を迎えた。スマートフォン決済などIT業界をはじめとした異業種から金融業界への参入が相次ぎ、カードに特化した業態からの転換を迫られている。

みずほFGと提携を解消

 クレディセゾンは、みずほフィナンシャルグループ(FG)と2004年に結んだ包括提携を今年10月に解消する。クレディセゾンは、みずほFG傘下のユーシー(UC)カードへ31%出資しているが、10月をめどに売却する。売却先は未定としているが、売却益は約188億円になるとみられている。

 UCカードは、みずほFG系の加盟店の管理業務専業で、みずほFGが50.9%出資する連結子会社。NTTドコモも出資している。

 クレディセゾンとUCカードは07年、両社の決済・事務処理業務を統合したキュービタスを設立した。同社を会社分割し、UCカード関連の事業をUCに戻す。キュービタスに49%出資するみずほ銀行は、資本関係を解消する。

 クレディセゾンとみずほFGの包括提携は、加盟店開拓や会員管理などの業務を分担することによって、三菱UFJニコスや三井住友カードなどほかのカード大手に対抗する狙いがあった。

 しかし、現金を使わないキャッシュレス化が進み、カード以外の決済手段が増えた。17年1月に業務分担は終了。クレディセゾンとUCカードは、カード発行と加盟店開拓を、それぞれが手掛ける体制に戻していた。

 みずほFGは3月にスマホ決済の「Jコインペイ」を始めた。今後のカード戦略は、傘下のオリエントコーポレーションとUCカードを核に進める。

 一方、クレディセゾンは18年1月からベンチャーのOrigami(オリガミ)との協業でスマホ決済サービス「Origami pay(オリガミペイ)」を始めている。

クレジットカードの一本足打法からの転換が急務

 クレディセゾンは業態転換が大きな経営課題となっていた。10年、利用者の借入額を制限する改正貸金業法が施行されると、中核のクレジットカード事業の収益が悪化。金融会社へ事業モデルの転換を迫られた。

 17年当時、19年3月期の目標として掲げた連結経常利益は、17年3月期比70億円増の600億円だった。19年3月期の連結決算の売上高に当たる営業収益は前期比4.6%増の3055億円と増収の見通しだが、営業利益は6.3%減の382億円、経常利益は10.1%減の510億円、純利益は13.9%減の330億円と減益の見込み。

 目標に掲げた経常利益600億円を100億円近く下回りそうだ。過去最高の経常利益は07年3月期の801億円。事業転換は待ったなしの状況といえる。

 新社長の山下氏は東京都出身で、81年に専修大学商学部を卒業後、西武クレジット(現クレディセゾン)に入社。常務などを経て16年3月に専務に就いた。キュッレス化が進むなか、経営体制は新たなステージに移行している。新規事業などを強力に推進する。

 クレディセゾンの“顔”である林野氏は、セゾングループ総帥の故・堤清二氏の薫陶を受けた最後の世代に当たる。

 林野氏は1942年、京都府で生まれた。65年に埼玉大学文理学部を卒業後、西武百貨店(現そごう西武)に入社。以後、人事部、企画室、営業企画室、宇都宮店次長を歴任。82年、西武クレジット(現クレディセゾン)にクレジット本部営業企画部長として転籍した。

 西武クレジットの前身は51年創業の緑屋。緑屋は割賦販売の草分けであり、丸井と並ぶ業界の双璧であった。しかし、割賦販売というビジネスモデルからの転換が遅れ、経営危機に陥った。西武百貨店が資本参加してセゾングループに組み入れ、80年に西武クレジットへと社名を変更した。

 セゾングループ内では、クレジット業務を主業にすべきだとする意見が強かったが、緑屋の再建時から西武百貨店と西武クレジットの社長を兼任していた板倉芳明氏は、月賦による小売業を維持する方針だった。

 クレジットへの転換を主張する林野氏は堤清二氏に直訴したところ、「百貨店の竹内敏雄常務(当時)と2人でやれ」と言われた。林野氏は82年、西武クレジットに転籍。竹内氏は83年に西武クレジットの社長に就いた。堤氏が西武百貨店社長にスカウトした板倉氏は、古巣の三越に戻り社長になった。

 竹内・林野のコンビでクレジット会社への転換を進めた。林野氏は営業企画部長として、当時業界では珍しかった国際ブランドカードの年会費無料化や即日発行を実現。89年、クレディセゾンに社名を変更した。その後、クレディセゾンはカード・クレジット事業で急成長し、セゾングループの中核企業となった。

セゾン解体後、みずほグループ入り

 クレディセゾンは解体されたセゾングループから離れた。みずほ銀行が筆頭株主となったことから、みずほFG系の企業と見なされた。

 セゾングループ解体に伴い2000年、林野氏はクレディセゾンの社長に就任した。社長就任後も、ポイントの有効期限を撤廃する「永久不滅ポイント」など新しい取り組みを進めてきた。社長在任の前半は、セゾングループ解体に伴う損失負担の処理に追われた。

 今年、密接なつながりがあったみずほFGとの関係が切れる。クレディセゾンは自立の道を歩むことになる。

 セゾングループの総帥、堤清二氏は13年11月25日、肝不全のため、東京都内の病院で死去した。86歳だった。14年2月26日、東京・帝国ホテル本館三階の富士の間で「堤清二・辻井喬 お別れの会」が開かれた。

 清二氏はマルチ人間だった。経営者と詩人・作家という2つの世界を同時に生きてきた。昼は堤清二として経営に当たり、夜は辻井喬として詩・小説を執筆した。お別れ会には親交の深い文化人や経営者ら約2500人が参列した。

 喪主は妻の堤麻子さん。実行委員長は米コロンビア大名誉教授のドナルド・キーン氏(今年2月24日、96歳で死去)と林野氏が務めた。

 堤氏の側近で、セゾングループの生き証人といえる林野氏が、セゾングループのいくつかの“闇”について口を開くことはあるのだろうか。
(文=編集部)

BusinessJournal編集部

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