東電が反故にした「賠償3つの誓い」
2011年3月の東京電力福島第一原発事故で被災した人たちの損害に関する「賠償請求権」の時効が迫っている。原発事故の発生から10年となる2021年3月を過ぎると、加害企業である東電に対する請求権が消滅するのだ。
民法上の時効は3年である。だが、原発事故という特殊な事情を勘案して、2013年12月に原賠時効特例法が成立。福島第一原発事故による損害に限り、時効が10年へと延長された。一方、賠償金を請求される東電に対しては、政府が原子力損害賠償支援機構(原賠機構。現在は原子力損害賠償・廃炉等支援機構と改組)を設立し、税金を兆円単位で投入。東電が被害者に対して迅速に賠償を行なうよう、資金面で支援した。
ところで、東電は同社のホームページに「損害賠償の迅速かつ適切な実施のための方策」を掲げている。この中で東電が「3つの誓い」として挙げた賠償方針は次のようなものだ。
1.最後の一人まで賠償貫徹
2.迅速かつきめ細やかな賠償の徹底
3.和解仲介案の尊重
3の「和解仲介案の尊重」とは、裁判外紛争解決手続き(ADR)において国の「原子力損害賠償紛争解決センター」(ADRセンター)が仲介する和解案を、加害企業として尊重するという「誓い」である。だが2018年以降、東電はADRセンターが出す和解案を拒否し、ADRセンターが和解手続きを打ち切るケースが急増している。
東電が「誓い」を反故にし、和解案には応じない方針を取る限り、ADRを通じて被災者を救済することは不可能である。つまり今のADRでの賠償交渉では、加害企業が賠償のルールを決め、被害者より威張っている。ならば東電も、ハッタリの「誓い」をホームページから削除すればよさそうなものだが、「誓い」は今も掲げ続けられている。
原発事故で破綻した東電は、血税が投入されて救済され、今では事実上の国営企業(原賠機構の子会社)である。賠償費用にしても原子力損害賠償・廃炉等支援機構に用立ててもらっており、身銭を切らずに済んでいる。被害者に対し、とても威張れる立場ではない。にもかかわらず、ADRでの和解案を拒否し始めた東電に対し、国が是正するよう指導することもない。これでは、東電の「ADR和解案拒否」はこれ以上の税金からの支出を抑制すべしという国の方針だと見られても致し方ない。
時効が近づくなか、ADR和解案が尊重されないようでは、「最後の一人まで賠償貫徹」どころか、賠償の網からこぼれ落ちる被害者が続出する。その一方で、大事故を起こした加害企業は恥も外聞もなく税金で延命を果たす。政府の“加害企業救済”方針は、21世紀最大のブラックジョークになりそうだ。
日本弁護士連合会(日弁連)は、賠償請求権の時効を20年へと再延長するための立法措置を国に要望する方向で検討を始めている。また、被害者を多く抱える自治体でも、時効延長を求める声が上がり始めている。
原発事故から8年以上が経過した今、なぜこんなことになってしまったのか。
強制権限がないADRセンター
福島第一原発事故による損害賠償請求では、東電との直接交渉や民事裁判のほか、国のADRセンターを利用することもできる――はずだった。
原発事故でADRの制度が設けられたのは、福島第一原発事故で被害を受けた人の数があまりにも多かったからだ。被害のすべてを裁判所で裁くとなると大混乱に陥り、被害者の救済も遅れるとして、迅速な解決を目指し、国と法曹界が協力して同制度はスタートした。
ADRセンターにおける仲介費用は無料。ADRセンターが個別の事情に応じた和解案を提示して、東電との賠償交渉を仲介してくれる。通常であれば半年程度で和解案が示され、解決を図ることを目指した。ただし、和解が不成立に終わった場合は、被害者は裁判を通じて損害賠償請求することになる。一審、控訴審、上告審を経て判決が確定し、実際に賠償が果たされるまでには、気の遠くなるような歳月がかかることになる。
そして事故から8年後の今、ADRセンターが和解を打ち切るようになった。こうなった最大の原因は、東電を従わせる強制権限がADRセンターにはない――ということに尽きる。
東電と和解できず、賠償が果たされなかった被害者は、裁判をするか、賠償請求を諦めるかの瀬戸際に立たされている。ADRでの協議で東電との間で長年積み重ねてきたやり取りや証言、証拠の数々も、新たに始める裁判では一からやり直さなければならない。
それだけに、原発事故の被害者救済のため、原発事故を機に米国流の集団訴訟「クラスアクション」の制度を我が国に導入し、最大限活用すべきだったのだ――と、今さらながらに思う【注1】。時効を10年延長することや、強制権限のないADRセンターを設けるより、「クラスアクション」制度の導入にこそ尽力すべきだったのだ。加害企業である東電が、法律の素人である一般市民を相手に白昼堂々と「赤子の手をひねる」ようなマネをするなら、それに対抗できる手段が必要だったのである。
【注1】2011年11月に上梓した『福島原発事故の「犯罪」を裁く』(宝島社刊)の中で筆者は、作家の広瀬隆氏、弁護士の保田行雄氏とともに、福島第一原発事故の被害者救済のために「クラスアクション」制度を導入するよう提案していた。
だが、法曹界や政界は、この提案を無視し続けてきた。日本の法曹界は原発の大事故が実際に起きるまで、被害者が数十万人から百万人規模で生み出される損害賠償事件が発生することに対し、何の備えもしておらず、福島第一原発事故後、泥縄式に対処してきた。
それまで、法曹界の彼らが持ち合わせていた「損害賠償理論」といえば、せいぜい「交通事故」に関するものくらいだったのだから、呆れるほかない。実際、国の原子力損害賠償紛争審査会(原賠審)では、被災住民らが受けた精神的被害に対し、交通事故の精神的賠償に倣って賠償すべきとする方針を打ち出し、東電もそれを逆手にとって精神的被害に対する賠償額を値切っている。
「クラスアクション」制度とは?
クラスアクションとは一種の集団訴訟なのだが、普通の集団訴訟ではない。公害事件や薬害事件などの被害者をまとめて救済しようという趣旨で設けられた、米国の裁判制度のことだ。少数の原告が被害者全員を代表するかたちで裁判を行ない、判決で得た成果はすべての被害者が享受できる。その裁判を「クラスアクション」とするかどうかは、判決が下される以前に裁判官が判断する。こうした進歩的かつ民主的な裁判制度は、まだ日本に存在しない。
このクラスアクション制度のメリットは、裁判を躊躇する被害者にまで法的救済の道を開くことだけにとどまらない。実は、裁判所にとっても多大なメリットがある。福島第一原発事故に関連する同一ケースの訴訟が裁判所に殺到するのを未然に防ぐことができるのだ。すなわち、国費(=税金)の大幅な節約にもつながる。この制度をいきなりすべての裁判に適用するのが難しければ、まずは福島第一原発事故のケースに限った「特措法」「特例法」のかたちで導入すればよい。
被害者救済にクラスアクション制度を生かす道筋を簡単に示すと、以下のイメージになる。
(1)国会で「クラスアクション法」(仮称)成立。
(2)法の成立を受け、日弁連の指揮の下、被害者の損害賠償請求訴訟を起こす。この際、米農家、酪農家、海や川の漁業者、自営業者、会社員、公務員など、さまざまな業種から代表的な被害者を「原告代表」として数人ずつ選出し、それぞれについて和解のモデルケースをまとめるか、判決を取る。もちろん「被曝」被害も賠償させる。
(3)「クラスアクション法」に従い、その和解と判決による賠償内容を、すべての被害者に適用する。大半の被害者は、クラスアクション裁判の終結を待って、被害を申請するだけでいい。
これなら、裁判費用を心配して訴えを躊躇していたすべての被害者にとって福音(ふくいん)となること請け合いだ。最大の利点は、損害賠償案をまとめる際に、裁判所という「第三者」のチェックが入ることだろう。「賠償スキーム」(賠償の枠組み)を加害者である東電側がつくるという異常事態が、これで一気に是正・解消される。
賠償のモデルケースができれば、放射能汚染によって故郷を追われ、慣れない土地や住居で暮らしながら、生活の再建と同時にADRや裁判をやらなければならないという苦労を、被害者はしなくて済む。損害賠償請求に注力しなければならなかった時間を、生活再建のために使うことができるようになるのである。つまり、被害者の経済的、時間的、心理的負担を大幅に減らせるのが、クラスアクション制度導入の最大のメリットだ。
※
先にも触れたが、日弁連では賠償請求権の時効を20年へと再延長する立法措置を国に要望するのだという。これが叶った暁に一番の恩恵を被るのは、東電とともに賠償金を値切り続けてきた東電弁護士軍団【注2】かもしれない。被害者の前に立ちはだかり、時効が延長された20年の間、救済の邪魔をすることで食いつなぎ、さらにもう10年、生き永らえることができるのである。そんな彼らに支払われる報酬の原資は、東電に注ぎ込まれた私たちの血税だ。彼らはまさに悪徳弁護士の鏡だと、筆者は思う。
【注2】東電弁護士軍団が賠償金を値切るため、どのような法廷戦術を駆使しているのかについては、「週刊プレイボーイ」(集英社/2015年3月30日号)の記事『3年で108億円もの弁護士費用をゲットした東電リーガル・ハイ軍団のトンデモ屁理屈集』で、弁護士らの実名入り・写真付きで解説したことがある。
https://wpb.shueisha.co.jp/news/society/2015/04/03/45974/
https://wpb.shueisha.co.jp/news/society/2015/04/06/46182/
賠償請求権の時効を20年へと再延長することを目指すなら、同時に「クラスアクション法」の制定も目指していただきたいと、我が国の法曹界の皆さんに対し、心から願う。時効が成立してしまう前の今なら、まだ間に合う。