
国内スーツ市場で売上高トップを誇る青山商事の大規模リストラが注目を集めている。郊外型ス―ツ専門店として創業しカテゴリーキラーとして急成長し、1998年には「スーツ販売着数世界一」のギネス記録認定を受けた同社だが、400人程度の募集人数の希望退職に609人の応募(2月22日時点)があったと発表。2021年3月期には初の営業赤字となる見通し。22年3月期までに全店の2割にあたる160店の閉店も進める。
業界第2位のAOKIホールディングス(HD)も21年3月期は53億円の最終赤字を見込んでいる。革靴大手のリーガルコーポレーションも、3月19日までを期限に100人の希望退職者を募集している。小島ファッションマーケティングの推計では、コロナ禍に見舞われた20年の国内スーツ販売は約400万着。ピークだった1992年の1350万着と比較すると70%減となる。2018年と比較しても40%減となる。ビジネスマンのユニフォームとしてのメンズスーツの現状分析から、市場とメンズスーツ文化の将来を見てみたい。
1.戦後スーツ市場の歴史と原点回帰傾向

メンズスーツの原型は19世紀のイギリス上流階級で生まれた。日本では、明治時代に軍隊、警察の制服から採用され、西南の役で着用された軍服が払い下げとなり、着物より機能的で動きやすいとして東京で普及した。しかし、当時の日本でも洋装は、特別な階層が着用するものであった。皇室男性の服装スタイルが典型的な伝統的英国スタイルなのは、明治時代からの脈々とした伝統が踏まえられているからである。天皇陛下がスーツのベストドレッサーであるのは、世界が認める事実である。
メンズスーツは本来、顧客一人ひとりに合わせてつくられる「誂え服」で平均月収以上の価格であった。1950年代末に第1次産業と第3次産業の就業人口が逆転し、1959年に大丸百貨店(現Jフロントリテイリング)が国内百貨店初の紳士既製服「トロージャン」を誕生させた。以降、経済成長とメンズスーツ既製服市場は並行して成長した。
その間に、郊外型スーツ専門店による製造・直販流通が一般化し、スーツは食品の卵とならぶ戦後の物価優等生となった。バブル崩壊後の1990年代から2000年代のIT産業台頭のなかで、ビジネススタイルのカジュアル化が進んだ。2005年には環境省主導で「クールビズ」と呼ばれる、ドレスコードを無視したスタイルが推奨され、ますます日本のメンズスーツ需要とファッションリテラシーが失われた。
そして2020年のコロナ禍が、メンズスーツの年間最実需期である3~4月の店舗閉鎖、そして毎日の出社習慣を大きく変えた。それらがビジネススーツ業界に積み重なっていた諸問題を一気に表面化させた。