大林組、清水建設は役員の処分を発表
東京五輪・パラリンピックのメインスタジアムである新国立競技場の本体工事は、大成建設などのJVが手掛けている。同社は旧国立競技場を1958年に完成させた。「ウチの事業」という思いが村田誉之社長以下、社員の隅々にまで浸透しており、負けられない一戦だった。
17年5月、大成建設の山内隆司会長が経団連副会長に就いた。ゼネコンから副会長が選ばれるのは初めて。大成建設はこれまで、汚職、談合、事故などの不祥事が多かったため、経団連副会長になれなかった。新国立競技場の受注と業界初の経団連副会長の座を手にし、社内は高揚感に包まれていた。だが、リニア中央新幹線の談合事件でつまづいた。
今回、スーパーゼネコンの対応は大きく分かれた。いち早く、白旗を掲げて捜査当局に恭順の意を示した大林組は1月、白石達社長の辞任を発表し、土木担当の土屋幸三郎副社長が辞職。3月に蓮輪賢治氏が社長に就任した。創業家出身の大林剛郎会長に類を及ばないようにしたかたちだ。
法人として起訴されたことを受けて、大林組は社外取締役を除く取締役8人全員が役員報酬を4月から3カ月間、20~30%返上する。かつて「談合の帝王」と呼ばれた大林組は、数々の談合事件で摘発された経験から、談合を認めてミソギを済ませ、早く復帰することが得策とわかっている。
同じ恭順組の清水建設はリニア工事担当の岡本正副社長が4月1日付で取締役専務執行役員に降格、6月下旬の株主総会で取締役も退任する。取締役11人全員の役員報酬を4月から1~3カ月間、25~50%返上する。
一方、「大成建設、鹿島建設の対応には微妙な差がある」(全国紙記者)ものの、公判で黒白をつけたいとしている。
特に大成建設の対決姿勢が突出している。振り上げた拳を下ろすには、村田誉之社長の引責辞任、山内隆司会長の経団連副会長の辞退しかないのでは、との観測が駆け巡っている。
談合の歴史
談合の歴史は、豊臣秀吉の時代に導入された入札制度とほぼ同時に始まったとされており、かなり古い。
高度成長時代の1960年代に入ってから、現代の談合のルールが整備された。この頃は大物の“値切り屋”の時代だった。
60年代は大成建設副社長(当時)の木村平氏が中央談合組織を仕切った。木村氏の引退後は、鹿島建設副社長(同)の前田忠次氏と飛島建設会長(同)の植良祐政(すけまさ)氏が引き継いだ。つまり、大成建設、鹿島建設には談合の水脈があるのだ。
木村氏が仕切っていた時代に、田中角栄元首相が「3%ルール」をつくった。各社にまんべんなく公共工事を配分する見返りにダム、道路、鉄道の大型工事では受注額の3%を上納させるという仕組みだ。田中氏は植良氏以外からは直接、上納金を受け取らなかったという伝説が残っている。これで植良氏の力は盤石となった。
1993年、本間俊太郎宮城県知事や竹内藤男茨城県知事ら自治体の首長や、ゼネコンの業務担当役員が逮捕された事件で、植良氏と、その後を継いだ鹿島建設の清山信二副社長(当時)が逮捕されている。
(文=編集部)