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封印された31年前の日本の月着陸、世界3番目…社会発展に絶大な貢献

文=橋本安男/航空宇宙評論家、桜美林大学航空・マネジメント学群客員教授
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親機「ひてん」と上端の子機「はごろも」(出典:JAXA)

 1月20日に宇宙航空研究開発機構(JAXA)の月探査機・SLIM(スリム)が、見事に月面へのピンポイント着陸(誤差55m)に成功し、ソ連(当時)、米国、中国、インドに次いで世界で5番目の月着陸成功国となった。日本の月着陸計画は技術上の問題や予算などの事情で遅れに遅れ、中国やインドの後塵を拝する結果となってしまった、といわれているが、実は日本は1993年4月、米ソに次いで世界で3番目に月着陸(硬着陸)に成功していたことは、ほとんど知られていない。

 90年に打ち上げられた宇宙科学研究所(現JAXA)の探査機「ひてん(飛天)」は、月の引力を利用して速度を増減するスイングバイ飛行の実験を何度も成功させ、ミッションを完遂した後で、NASAの提案もあり、予定外に月の軌道に乗せられ、最終的には93年4月に月面に到着した。これは、ハードランディング(激突)ではあったが、この月面到着はソ連、米国に次いで世界で3番目となる宇宙開発史上での快挙であった。ところが、ある事情で、この「快挙」は当時、メディアではほとんど取り上げられることはなかった。

 衣の下に鎧(よろい)を着た宇宙工学実験衛星「ひてん」 

「ひてん」は宇宙工学実験衛星1号機として計画され、その最大の目的は、惑星探査に欠かせない技術であるスイングバイ技術の習得にあった。スイングバイとは、公転する天体に接近し、天体の引力を利用して、燃料を使うことなく、探査機を加減速し、かつその軌道を変更する技術である。当時成功していたのは、アメリカとソ連だけであった。

 世界で3番目にスイングバイに挑戦しようというのだから、それ自体野心的な試みだったが、問題はスイングバイの対象に選んだのが「月」だったという点だ。月に探査機を送ること自体が「世界で3番目の挑戦」だったのだが、そのことはスイングバイという宇宙工学上の実験テーマの陰に隠されてしまっていた。 

「ひてん」には月を直接探査する機器は装備されず「月探査機」と呼べるものではなかったのだが、小型ロケットを逆噴射して月の軌道に乗せる孫衛星「はごろも」を搭載していたように、当時の技術陣が月到着を強く意識し、月への野心を持っていたのは間違いない。

計画されたミッションを完遂、その後、数奇な運命をたどって月面に到着

「ひてん」は90 年1 月24 日、鹿児島県内之浦から打ち上げられ、地球を回る楕円軌道に乗せられた。その後、軌道を変更した後、3 月19 日未明に順調に月に接近した。月に最接近する27 分前に子機「はごろも」が切り離され、小型ロケットの噴射で月の軌道を回る孫衛星となった。月孫衛星実現は、米ソに次ぐ世界で3 番目の快挙であった。

 一方、親機である「ひてん」のほうは、月から1万4472km の距離で最接近し、第1 回スイングバイを実施した。月の重力に引っ張られて大きく加速され、「ひてん」の軌道は2倍以上の大きな楕円軌道に拡がった。スイングバイの威力絶大である。米ソに続く世界で3 番目のスイングバイ実験が成功裏に終わった。「ひてん」は、その後も宇宙工学実験衛星としての実験を縦横無尽に行い、まとめると次のような輝かしい業績を上げた。

(1)10回の月を使ったスイングバイ実験(世界で3番目のスイングバイ実験)
(2)世界初の「二重スイングバイ」(加速スイングバイと減速スイングバイ)
(3)世界初のエアロブレーキ実験(地球の大気を利用して減速)
(4)孫衛星「はごろも」を月の軌道に投入(世界で3番目)

 計画されたミッションをほぼ100点満点で達成し、普通なら「お役目ご苦労さま」とここで任務終了となるはずであった。ただ、実験が順調に進んだ結果、燃料が少し残っていた。さらに、アメリカのNASAジェット推進研究所から、次のような提案があった。

「探査機をいったん地球の重力圏の限界近くまで飛ばし、太陽重力の影響を利用して高度を上げ、さらにスイングバイを行って軌道を月に導けば、わずかな燃料で『ひてん』を月周回軌道に投入できる」

 いわば、省エネ航法の勧めであり、これが宇宙研の技術者の背中を押し、もともとの計画にはなかった「ひてん」の月の軌道への投入が試みられることになった。8カ月くらいかけて「ひてん」は月に接近・減速して、1992 年2 月15 日に月の軌道に乗った。月を回りながら1年以上さまざまな実験を行い、最後に与えられた大仕事が、将来の月軟着陸を見据えた「制御された月面への着地(衝突)」である。残されたわずか1kg の燃料を使って軌道修正を行い、月のフレネリウス・クレーター付近が着地点となった。着地時刻は1993 年4 月11日3時3分24.5秒であり、計画との誤差はわずか0.4秒であった。

 ところが、である。この月面到着は、宇宙研の当時の監督官庁である文部省(現文部科学省)を大いに驚愕させてしまった。計画してもいない月面到着を許可なく勝手に実施したということで、宇宙研の幹部は文部省へ出向き釈明する羽目になった。

 こんな背景から、宇宙研も「世界で3番目に月に探査機を到着させた」ことを大々的に発表する記者会見は行わず、淡々と「月に衝突して任務を終えた」と発表するのみであった。当時の新聞では「ひてんが月面に落下」という数行の記事で報道されるのみであった。

 しかし、「ひてん」への世間での評価はともあれ、30年前に「ひてん」によって獲得されたスイングバイ技術や軌道制御技術が礎となって、今回の月探査機スリムのピンポイント着陸の成功があったと考えれば良いのであろう。

月着陸/宇宙開発が、夢やロマンは別として、世の中で何の役に立つのか?

 今回の「スリム」の月着陸に要した総開発費は149億円。その出所はすべて税金である。宇宙開発全体(偵察衛星も含む)の予算規模は6000億円。夢やロマンも結構だが、福祉など別の用途に使ったほうが社会の役に立つのではないかという意見は出て当然だろう。

 人工衛星、特に宇宙探査機は、打ち上げ時の重量制限による軽量化と、長期間宇宙空間の真空と高温、低温という厳しい環境にさらされるため高い耐久性と信頼性を求められる。宇宙探査機を設計・製造する際に培われた高度な先端技術とノウハウは、水平展開され他の人工衛星や、波及して他の産業にも活かされる。

 例えば、「スリム」を設計・製造した三菱電機は気象衛星「ひまわり」を製造しており、この「ひまわり」のおかげで気象予測の精度は格段に進歩した。気象庁からの気象データを基に気象情報会社は解析し洗練化した上で、各企業に配信している。このデータに基づき、食品スーパーは来店数予測をして入荷数を調整し廃棄率を下げられる。建設企業は天候を予測しながら効率的に建設工事計画を立てられる。アパレル企業は季節の変わり目に合わせて広告を打っている。

 さらに、宇宙開発で培われた技術は政府から民間企業に伝承され、米国ではスペースX社を中心に、すでに宇宙自体が巨大な民間ビジネスの場となっている。日本でも民間初の月着陸を狙うアイスペース社をはじめ多くのスタートアップ宇宙企業が生まれ、政府もこれらを支援し始めている。

 消費者の目線に立てば、GPSのおかげで一般消費者もカーナビでの運転を享受でき、衛星放送によって大谷翔平のホームランを日本にいながらリアルタイムで見ることができる。このように、もはや当たり前すぎて意識もされないところで、宇宙開発の恩恵は各企業、消費者に浸透している。

 月探査機「スリム」が世界に先駆けて行った「ピンポイント着陸」によって培われた高度な先端技術が、今後さらなる社会への貢献につながることを期待したい。
(文=橋本安男/航空宇宙評論家、桜美林大学航空・マネジメント学群客員教授)

橋本安男/航空宇宙評論家、桜美林大学航空・マネジメント学群 客員教授

橋本安男/航空宇宙評論家、桜美林大学航空・マネジメント学群 客員教授

日本航空で、エンジン工場、運航技術部課長,米国ナパ運航乗員訓練所次長,JALインフォテック社部長,JALUX社部長,日航財団研究開発センター主任研究員を歴任。
2008年より桜美林大学客員教授。
2012~20年に(一財)運輸総合研究所 客員研究員
2015年より航空経営研究所主席研究員
著書「リージョナル・ジェットが日本の航空を変える」で2011年第4回住田航空奨励賞を受賞。
東京工業大学工学部機械工学科、同大学院生産機械工学科卒

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