「東京・芝浦の倉庫会社のオーナーから、こんな相談が持ちかけられた。『今度、テナントが出て行く倉庫があるので、そのスペースを有効活用できないか』。私が28歳のとき、1990年のことでした。そして現場を見に行って、私は瞬間的にひらめいた。『ここでディスコをやったら、絶対に成功する』」
タイミングが良かった。日商岩井は英国最大のレジヤー企業、ウェンブリーと業務提携し、ウェンブリー傘下には世界各国でディスコを運営しているジュリアナがあった。ウェンブリーと日商岩井が芝浦で大型ディスコをオープンすればビッグニュースになると折口氏は確信した。
折口氏は東京倉庫運輸のオーナーにディスコを提案すると、ディスコを運営する会社に建物をリースするかたちなら企画に乗ってもいいという。しかし、オーナーが直営するのがディスコビジネスの一般的な形態だったため、日商岩井の上司は真っ向から反対した。そこで折口氏は、ある資産家に保証人になってもらい数千万円を借金し、スポンサーを募り約1億円を集め、東運レジヤーとの共同出資方式でジュリアナをオープンさせた。
ジュリアナは快走を続け、初期投資の15億円を初年度の売上高(20億円)で回収。オープンして半年後に折口氏は日商岩井を辞め、ディスコの経営者に転じた。
●ネットバブルのスターから破産へ
しかし、経営者になったのもつかの間、折口氏はジュリアナを追われた。前出自著の中で折口氏は「倉庫会社と二社の協力会社にとって、ジュリアナの企画から立ち上げ、運営まで総合的にプロデュースしてきた私は、邪魔な存在になっていたのだと思います。私を外せば、もっと大きな利益を手にできるに違いない、と(考えた)」と振り返る。
だが、ジュリアナ元関係者の証言は、これとはかなり違う。
「折口さんは、倉庫のオーナーである東京倉庫運輸に内緒で、防衛大の先輩が勤めていたアマックスという会社にジュリアナの運営を任せていた。ここは暴力団筋ともつながる会社で、オーナー側が激怒。無断で別の会社に委託するのは契約違反であるとして、経営権を取り戻す訴訟を起こした。折口さんとアマックスは、ジュリアナから手を引くことを条件にオーナー側と和解したのです」
ジュリアナを追われた折口氏には、借金だけが残った。その後、94年に東京・六本木に誕生した世界最大級のディスコ「ヴェルファーレ」を総合プロデュース。ヴェルファーレが軌道に乗ると、その企画料でジュリアナを追われたときの4000万円の借金を完済した。しかし、そのヴェルファーレも追われる格好となった。
「雇われ経営者」の限界を感じた折口氏は、自分がオーナーの会社を持とうと一念発起して95年、人材派遣会社を立ち上げた。折口氏がベンチャー起業家として脚光を浴びたのは、99年から2000年にかけてのネットバブル真っただ中である。しかし、前述の通り介護報酬の不正請求や二重派遣などの実態が相次ぎ発覚し、グッドウィルの業績が悪化。その責任を問われて会社を追われ、折口氏自身も09年9月に破産宣告を受けた。折口氏は米国永住権(グリーンカード)を家族とともに取得し、その後ニューヨークに移住したと伝えられている。
バブルの象徴であるジュリアナの経営元破綻と、その生みの親である折口氏の隠棲により、バブルはより遠い過去になった感がある。
(文=編集部)