ミネラルウォーターやお茶をはじめ、最近ではワインや日本酒までペットボトル入りの商品が販売されている。缶が主流のコーヒーでさえ、今やペットボトル入りが存在する。しかし、なぜか「ペットボトル入りの牛乳」を見かけることはない。子供の頃から身近にある牛乳がペットボトルで流通しない背景には、なにか理由があるのだろうか。日本獣医生命科学大学獣医学部の横須賀誠教授はこう語る。
「牛乳は他の飲み物に比べて栄養価が高いため、雑菌が繁殖しやすいのです。そのため、衛生的に安心できる瓶か紙パックで販売されています」
雑菌が繁殖しやすい牛乳は、基本的に摂氏10度以下で保存しなければならないという。しかし、ペットボトル入りであっても、冷蔵庫に入れておけば問題ないはずだ。
「ペットボトルはふたを閉めることができ、密閉度の高い容器です。そうすると、飲みかけの牛乳を持ち運ぶことができてしまいます。長時間、常温あるいはもっと高い温度にさらされることで、雑菌が繁殖する可能性も高くなるのです」(同)
ペットボトル入り飲料は、直接口をつけて飲む。一度ふたを開け、少し飲んでカバンにしまい、また取り出す……。そういったシーンが想定されるために、牛乳の容器にペットボトルが使われることはなかったのだ。
法律上は可能な「ペットボトル入り牛乳」
農林水産省の調査によると、牛乳は消費量、生産量ともに年々減少の一途をたどっている。しかし、軽くて便利なペットボトル入りが流通すれば、消費量は持ち直すかもしれない――。そういった考えの下、乳業メーカーは「ペットボトル入り牛乳」の実現に向けて努力した。
その成果もあってか、2007年3月には食品安全委員会が「適切な条件下で管理される限り、十分な安全性を確保している」と、ペットボトルの食品健康影響評価を厚生労働省に提出した。同年10月に「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」が改正され、ペットボトル入り牛乳の販売が認められたのである。
しかし、法改正から8年近くたった今も、コンビニエンスストアやスーパーマーケットには瓶や紙パックの牛乳しか並んでいない。乳業メーカーの念願かなってペットボトル入り牛乳の販売が可能になったにもかかわらず、である。
「要は、コストの問題ですよ」と語るのは、食品メーカー関係者だ。ペットボトルに牛乳を充填するシステムを新たにつくること自体が、事業を圧迫する要因になるという。
「牛乳用のペットボトルには、現状の清涼飲料水用のサイズや品質のまま転用することはできず、新たなものを開発しないといけません。しかも、従来どおり瓶や紙パックも並行して作り続ける必要があり、莫大なコストがかかります」(食品メーカー関係者)
仮にメーカー側が、牛乳の保存方法などについてアナウンスしても、ペットボトルの便利さから、消費者が持ち歩いたりしてしまうことは目に見えている。そうなると、メーカー側は食中毒などのリスクも今まで以上に負うことになる。そこまでしてペットボトル入り牛乳を作ったところで、どれだけ利益が上がるかも不明だ。
消費者からは「瓶が清潔」という声も
スーパーで1リットルの牛乳を購入した主婦は「牛乳は瓶がいいです」と語る。それには、こんな理由があるようだ。
「紙パックは、使い終わった後に開いて洗って乾かす、という手間がかかります。ペットボトルは軽くすすぐだけなので処分は簡単だと思いますが、衛生的に不安があるので、敬遠してしまいそうです」(主婦)
スーパーで牛乳を購入した16人に「ペットボトル入りの牛乳があったら買いますか?」と聞いたところ、3人が「あったら買う」と回答、13人が「想像できない」と答えた。さらに取材を続けると、消費者からは「やはり、瓶が一番清潔な気がします」という声が多く聞こえてきた。
今から数十年前までは、牛乳の宅配を利用していた家庭も多かった。瓶で届く牛乳を飲み、飲み終わったら瓶を軽くすすいで、玄関先に出しておくと回収され、新しい牛乳が届くというシステムだ。
「瓶は洗浄して煮沸消毒することで、何度も使うことができます。最初の製造コストは高くても、結果的には安く済むのです。しかも、滅菌や殺菌も十分にできるので、衛生的にも安心です」(前出の食品メーカー関係者)
リサイクルできるのでごみにならない瓶は、実はエコな容器でもあるのだ。そういう意味では、今の時代にマッチしているといえる。
「子どもがいるので、牛乳は毎日飲みます。2日に一度は買うので、本当はインターネットで買って、自宅に宅配してほしいです。それなら、自分で重い瓶を運ぶ必要もありません」(前出の主婦)
購入手段こそネットという現代的なものになっているが、この主婦が望む「自宅に牛乳が届く」という光景は、昭和の朝の風景だ。消費者が求めているのは、便利な半面、雑菌繁殖などのリスクがあるペットボトル入りより、安全かつ簡単に牛乳が飲める方法なのかもしれない。低コストで環境にもやさしい宅配システムを見直すことが、もしかしたら牛乳の復権にもつながるのではないだろうか。
(文=石丸かずみ/ノンフィクションライター)