鈴木亮平が主演を務めるNHK大河ドラマ『西郷どん』の最終回「敬天愛人」が16日に放送され、平均視聴率は前回から2.4ポイント増の13.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)だったことがわかった。全話平均視聴率は12.7%だった。
最終回は、政府軍に追い詰められて鹿児島に戻った西郷隆盛(鈴木)と私学校の生徒らが最後の奮戦をする様子を描いた。徴兵された町民や農民からなる政府軍は、機械のように一糸乱れぬ戦いぶりを見せつけるが、西郷軍は結束力と士気こそ高いものの兵器と兵力で劣り、次第に押されていく。侍の時代が終わったことを感じさせる描写だ。
総攻撃を待つばかりになり、死を覚悟した西郷は、ついにこの戦いの意義を生徒らに説く。自分が死ねば、全国の士族もようやく別の生き方を見つけるだろう。自分の死とともに、新しい日本が生まれるのだ――。笑顔で語り掛ける西郷に、悲壮感はみじんもない。翌朝、通告されていた総攻撃の時刻を迎える頃、西郷は皆を「おはんらが侍の最後を務めるんじゃ。日本の誇りじゃ!」と元気づけた。これ以上ない最高のアジテーションである。西郷軍が楽しそうに生き生きと戦って死んでいったのに対し、勝者側であるはずの政府軍上層部はお通夜のように沈み込んでいたという対比もうまい。
オープンセットをフルに活用したリアルな戦闘シーンそのものも見応えがあった。大河ドラマは近年、戦闘シーンを省略したり縮小したりする傾向にあり、『真田丸』でも『おんな城主直虎』でも、まともな戦闘シーンはほとんどなかった。「もうNHKは戦闘シーンをつくらないんだろう」と思っていた大河ドラマファンも少なくなかっただけに、銃も大砲もバンバン打ちまくり、刀での激しい殺陣もある戦闘シーンには「迫力があった」「NHKはやればできる子だった」「大河でこんなに長い戦闘シーンは久しぶり」といった声が視聴者から上がった。
西郷の死を悼む人々として、島津久光(青木崇高)や勝海舟(遠藤憲一)、徳川慶喜(松田翔太)らがそれぞれ登場したのも、良い演出だった。なかでも「なんで逃げなかったんだ。俺みたいに逃げればよかったんだ……」と慶喜がつぶやく場面は意味深い。断固として新政府と戦う姿勢をみんなに望まれながら、戦争の拡大を避けるために周囲の期待を裏切った慶喜と、周囲の期待に応えることを最後まで貫いて死んでいく西郷。どちらが正しいとは言えないが、それぞれの生き方が運命を分けたのだ。
上野の西郷像の除幕式を描いた第1回の冒頭で、西郷糸(黒木華)が「うちの人はこんな人じゃなかった」と言い出した件についても回収された。人々が「西郷さんは星になった」として拝んでいることを知った糸は、「旦那さぁは人に見上げられたり、拝まれたりして喜ぶようなお方ではあいもはん」と子どもたちに言い聞かせた。だから、大きな銅像を目にした瞬間に「西郷隆盛は銅像なんか建てられて喜ぶような人ではない」と口走ってしまったのだろう。
ここまでは賛辞ばかり書いてきたが、ラストの構成には不満がないわけではない。大久保利通(瑛太)の暗殺はあまりにも唐突だったし、いくら史実であるとはいえ、ドラマとしての意味を持たせることができなかった。エンドロールが流れた後に時間をさかのぼり、腹部を撃たれた西郷が「もう、ここらでよか」とつぶやいて絶命するシーンで「完」の文字が出る終わり方も、意図がよくわからなかった。
おそらく、毎回ラストでナレーションの西田敏行が言っていた「今宵はここらでよかろかい」という台詞を、最終回は主役に言わせて幕を下ろしたという演出なのだろうが、ちょっとふざけている感じもするし、“うまいことを言った”感もあまりない。ラストシーンが蛇足な感じに見えてしまったのは残念だ。
とはいえ、終わり良ければすべて良しである。『西郷どん』は登場人物の心情や歴史の流れをほとんど描かず、「何年に何が起きました」というエピソードをひたすら年表のように繰り返してきたが、明治編になってからは西郷と大久保の関係性に焦点を絞り、非常に生き生きとしたドラマに変化した。最終回も登場人物それぞれの心情が視聴者の心に迫り、涙なしでは見られない良回だった。俳優陣も素晴らしい演技で、キャラクターに息を吹き込んでくれた。特に鈴木は、大河常連である西田敏行のあとを継ぐ存在になれそうな気がする。少なくとも筆者の頭の中には、「『西郷どん』は結構おもしろかった」と記憶されそうだ。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)