昨年から世界中で新型コロナウイルスの感染が拡大が猛威をふるい、今でも多くの人が「自分も感染するのではないか」「仕事がなくなるのではないか」など、常に「不安」と共に生活をしている。
まだまだ収束までの道のりが見通せないなかで、不安は増幅しやすい。不安は簡単に拭い去ることが難しい感情である。
■コロナ禍の今だからこそ生きる歴史的名僧の教え
この「不安」との向き合い方の答えを出したのが、臨済宗の僧・白隠禅師(1685~1768)だ。250年以上前の江戸時代に生きた人物で、今に引き継がれる禅の教えを確立するとともに、絵や書など、後世まで大きな影響を与える多くの作品を残し、「500年にひとりの名僧」と呼ばれた人物だ。
偉大な人物であるのは確かだが、白隠は幼い頃から繊細な性格で、不安から逃れるために仏の道へ進んだにもかかわらず、修行をやりすぎた結果、うつ病やパニック障害になってしまったとされている。
自らも生の不安と直面し、心の調子を崩した経験がある白隠は、今の不安にかられている私たちにも親近感の湧く人物であり、その言葉や絵はダイレクトに心に響く。
そんな白隠に救われた経験を持つのが『心を燃やす練習帳 不安がなくなる白隠禅師の教え』(齋藤孝著、ビジネス社刊)の著者であり、明治大学文学部教授の齋藤孝氏だ。かつて心がまいってしまい、誰とも話さない、話せない時期に、白隠の教え、考えに出会い、それに従ってみると、うつうつとした精神状態から抜け出せたという。
白隠のファンは著名人にも多く、ビートルズのジョン・レノン、『ライ麦畑でつかまえて』で知られるアメリカの作家・J・Dサリンジャー、現代経営学の父と呼ばれるピーター・ドラッカーも白隠を高く評価している。
では、白隠はどんな考えの持ち主で、どのように不安と向き合ったのか。
不安な感情というのは、実は必要不可欠なもので、不安な気持ちがあるために、人は失敗や危険を回避するように行動する。しかし、不安が「焦り」や「緊張」に変化すると、心と体にとって害悪になる。「焦り」や「緊張」を増幅させてしまうのが、周りから入ってくる情報の多さなどから、考えすぎてしまうことだ。
そこで、白隠は「正念工夫」を続けることの大切さを説いている。正念工夫とは、喜怒哀楽などの雑念が生じる前の状態のこと。心をまっさらにして、あるがままのものを見ることを意味している。正念工夫を続け、自分の内側を見つめ直すことで、自分が本当に何を望み、何に対して怯えていたのか、不安の正体が浮かび上がってくるのだ。
不安の正体とは、おそらくほとんどが、自分の内側ではなく、他者という外側からの情報で定義される「幸せ」だ。幸せ、不安などは、外の価値判断で決まるのではなく、自分の内側で感じるものである、と白隠は教えてくれるのだ。
コロナに限らず、失敗や挫折、人間関係のこじれなど、心を乱し、不安にかられてしまうのが人間というもの。白隠の考えや教えは、不安と向き合い、心を整えなければならない現在を生きる私たちの道標となるはずだ。(T・N/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。