市場(マーケット)だけでなく、永田町からも「緩和が不十分」と批判の大合唱だ。一層の金融緩和を求める政界の圧力は、ものすごいものがある。みんなの党は4月10日、インフレ目標の設定を求める日銀法の改正案を参議院に提出。”日銀包囲網”は着々と狭まってきた。
白川総裁を含めて過去3代の総裁は日銀出身。結果的に15年にわたり日本はデフレから抜け出せていない。1990年代は「失われた10年」といわれたが、いまや「失われた30年」に入ろうとしている。この間、金融政策を担ってきたのがこの日銀出身の総裁たちだが、彼らはデフレ脱却に有効な手を打てなかった。お公家集団の彼らにはデフレをねじ伏せる力仕事は無理との評価がほぼ定着した。
こうした”及び腰”は、日銀のDNA(遺伝子)に根ざしているからだろう。戦後の日本は右肩上がりの成長を遂げるインフレ経済だった。モノの値段が上がり、相対的に通貨の価値が下がるのがインフレ。通貨の番人を自負する日銀は、インフレ退治を最大の使命にしてきた。
日銀内には古くから利上げを「勝ち」、利下げを「負け」として「○勝○敗」と数える風習があり、これほど日銀マンの価値観を示している言葉はない。利上げはインフレを退治するから勝ち。利下げはインフレを促進しかねないので負けと考えているということだ。
民間のエコノミストからは、「日銀が紙幣をバンバン増刷してばらまけば、貨幣価値が下がり、物価は上昇する。円安も進み、一石二鳥だ」との主張が絶えない。しかし、インフレ退治に情熱を燃やしてきた日銀マンにとっては、こんな議論は荒唐無稽な暴論でしかない。
白川総裁はこれまでの4年間、リーマン・ショックや東日本大震災、欧州債務危機に立て続けに見舞われ、計10回もの金融緩和に踏み切った。日銀内の勝ち負けの基準に照らせば、白川総裁は10戦全敗で任期を終えることになりそうだ。
そんな折、早くも、ポスト白川が取り沙汰されている。
「デフレ退治に失敗した日銀出身者が3代続いた。次に日銀出身者が総裁に就く目はない。有力候補は財務省出身者。本命は元事務次官の武藤敏郎・大和総研理事長(68)だろう」(霞が関筋)