うまいのか』 (PHP新書)
「日本のモノ作りの強みを発揮するためにも国内生産が必要だ」。6月15日、愛知県豊田市のトヨタ本社で開いた株主総会には、過去最多の3860人が出席。そこで、章男社長はまたまた持論を展開した。一方株主からは、「(海外生産に積極的な)日産自動車などに比べて国内生産比率が高い」「輸出比率を下げれば、もう少し利益が出るはずだ」「円相場が1ドル=75円まで進んだ場合の対応も考えるべきだ」などと、章男社長の円高対応策に対する懸念の声が相次いだ。
煎じ詰めれば。トヨタの国内生産比率が高いことへの懸念だ。国内生産と輸出を担うトヨタの単体決算は、2013年3月期も700億円の営業赤字を見込んでいる。単体決算の累積の営業赤字は1兆5000億円に迫っている。
円高で輸出などの事業環境は厳しいが、「もうかるという観点だけで自動車産業が海外進出を続ければ、雇用が失われる」と、章男社長は改めて「国内300万台体制」を強調した。章男氏は「輸出が100万台減少すると、国内で20万人の雇用が減少する」という独自の試算に言及した。
「厳しいときだからこそ自動車産業が日本を元気にするという思いで取り組む」と章男社長は語ったが、儲ける、利益をあげることを脇に置く章男氏の経営観が株主に受け入れられるとはとても思えない。
さらに章男氏は株主総会で、経営者としては決して見せてはいけない弱さを吐露した。「私も生身の人間。トヨタや私のことを良くご理解いただけない人から中傷を受けると正直、心が折れてしまうことが多々ある」。なんと、弱い心の持ち主なのであろうか。中傷などではない。経営に対する株主からの指摘は、それがどんなに胸に痛くても、真っ直ぐに受け止めなければならない。社長になって4年目、創業家出身の50歳代の社長は若いというより幼いのだ。
株主総会は役員賞与の支給など会社側が提案した3議案を可決して1時間45分で終了した。一言で言うなら、章男社長の熱意と株主の冷めた空気。このギャップはかなり深刻だ。
株主総会に先立ち5月29日に開催したトヨタ労組との労使懇談会で、章男社長は「国内生産300万台体制」を維持するために、数値目標を示し協力を求めた。共同通信が配信した記事によると、章男氏は3年後の15年に、国内市場は軽自動車を除く規模を270万台と想定。このうち、円高で輸出採算が悪化しても利益が出る体制をつくるためには、国内販売台数150万台、国内市場シェア55.6%を確保することが必要だと述べた。
東日本大震災などの影響で、国内需要が軽を除いた乗用車で約238万台まで激減した11年のトヨタの国内販売台数は120万台、シェア44.4%だった。トヨタがこれまでにも月間ベースで50%を超えたことはあるが、いずれも瞬間風速だ。年間ではエコカー補助金の恩恵が大きかった10年の48.5%が過去最高だった。
それを3年後に、小型ハイブリッド(HV)車の「アクア」や主力セダンの「カローラ」など新型車を中心に販売アクセルを目一杯踏み込み、年間でも50%を超えるシェアの目標を設定したのである。
国内シェアが55.6%まで高まるとどうなるか。ビール市場で寡占状態が続き、キリンビールがビール界のガリバーになったとき、何が起こったかを思い出したらいい。「キリンを分割せよ!」だった。キリンが昔日の勢いを失い今は昔の話となったが、トヨタが国内シェアを、なりふり構わずアップさせると、トヨタ・バッシングが必ず起こる。
「国内生産台数300万台の死守」を章男社長は呪文のように唱え続けている。殿のご乱心の尻拭いをするのは、いつも現場(労働者)だ。トヨタ労組の幹部は労働貴族だから、章男社長の言うことには「全て(オール)イエス」だ。労使懇談会での章男社長の発言が流れると、兜町では「トヨタの株価上昇は限定的」との見方が広がった。
章男氏の硬直的な発想がトヨタの経営体力を急激に弱めていることは、投資家ならずともわかっている。だが、トヨタの現経営陣は「日本のものづくりを守り抜くには、国内で年300万台規模の生産を維持する(ことが必要)」との章男社長の決意、いや信念を無下に扱うわけにはいかない。あちら立てれば、こちら立たずのジレンマに陥る。
「私のことは歴史のみが評価することになると思う」。章男社長は心を許す、数少ない”お側(そば)記者”にこう語ったことがある。
円高で”章男ドクトリン”は早晩、立ち行かなくなる。軌道修正を迫られることになった時、章男社長はどのように釈明するのだろうか。強力にサポートしてきた副社長連中はどんな顔で何を言うのか。13年3月期の連結営業利益の目標は、前期比2.8倍の1兆円の大台乗せだ。「社長が大きな旗を揚げたのだから、そこに向かって進む」と語る章男好みのイエスマンだけでは、今のトヨタの経営は回らない。厳しい意見を言う、勇気をもった側近が必要だ。
株主、社員、顧客、協力工場(系列部品会社)など多くのステークホルダーを味方につけるには、器が必要だ。ズバリ、豊田章男氏の社長としての器である。
現在のトヨタにとって、これが一番の難題なのである。
(文=編集部)