(「EDWIN」HPより)
『8月上旬に当社グループの経理責任者が急死したことに伴い、当社グループによる証券取引において損失が発生していたこと、及び、損失発生に関連して不適切な会計処理等が行われていた可能性があることが判明しました。徹底した調査を行うことが最重要であるとの認識のもと、外部の法律家等によって構成される第三者委員会を設置しました』
同社は、2008年のリーマン・ショックによる混乱で、証券投資で200億円以上の運用損が発生。融資を受けていた銀行などには、損失を隠蔽した決算書類を提出していた。さらに驚きなのが、実は、8月上旬にグループの経理担当の取締役が自殺していたのだ。この経理担当者が持っていたパソコンの中に、投資の失敗を示す内容のメールが残されていて、不正経理の疑いが浮上したという。
11年から「為替デリバティブで損を出している」といったうわさが根強く流れ、繊維・アパレル業界でエドウインの動向に関心が集まっていたことも判明している。
エドウイングループは非上場だが、ジーンズの国内専業メーカーとしては最大手。エドウイン(ジーンズ卸)を中核に、エドウイン商事(ジーンズの企画・製造)、全国30カ所のエドウイン直営店など7社で構成されている。民間調査会社によると、エドウイン単体の11年5月期の売上高は276億円、経常利益は約18億円(ちなみに08年同期は357億円)。同社のジーンズは、イメージキャラクターにハリウッドスターでブラッド・ビットを起用していたことでも知られる。
エドウインのあゆみは、1947年に古着商、常見米八商店が米軍の払い下げ衣料を仕入れたことから始まる。米軍衣料の元受けとして、全国各地の米軍衣料品店や草創期のジーンズショップに卸していた。だが、米軍基地が縮小され、払い下げ衣料の量も減り、中古衣料の需要も減った。ここで業態の根本的転換をはかる。
この転換を主導したのは常見米八氏の長男、喜一氏(前社長)と次男、修二氏(現社長)の兄弟。喜一氏は伊勢丹に勤務し、カジュアル衣料を担当していた。修二氏はMBA(経営学修士)を取得するために米国に留学中だった。
59年に、初めて日本市場に新品のジーンズが輸入され、市場が拡大した。これをみて喜一氏は、ジーンズの事業化が可能と判断。古着商からジーンズメーカーに転換した。日本人に合わせた深い股上と、「洗い」による中古加工を施したジーンズを完成させ、61年に「EDWIN」ブランドで売り出した。
ブランドの由来については諸説ある。日本のジーンズメーカーとしては岡山の学生服メーカーから転業したビッグジョンやボブソンが先行していた。まず、お膝元である「江戸で勝つ」との決意を込めて「EDWIN」としたという説が有力だ。