日経新聞、復興予算流用“後追い”を“特ダネ”にすり替え!?
実施されることとなった。
(11月9日付朝日新聞より)
予算の流用は今に始まったことではない。こじつけのような理由をつけ、目的と関係の薄い事業へ財源を流用することは昔からあり、無駄遣いでない限り“必要悪”という側面もある。
特に、東日本大震災からの復興は国民が一丸となって取り組む課題であり、お呼びでない役所をなくして各省庁全員参加型にする体制も必要だ。だから、指摘されている“流用”のすべてが問題なわけではない。度合いの問題であり、経済政策という視点でみれば、風が吹けば桶屋が儲かる式の事業でも経済的な波及効果が見込めるなら排除する必要はない。
しかし、国として必要な施策でも、復興とまったく無縁の事業が紛れ込んでいるのも事実だ。たとえば、反捕鯨団体「シー・シェパード」の妨害活動に対する監視船のチャーター代など調査捕鯨支援の経費(農林水産省、23億円)、海外のレアアース(希土類)鉱山の買収資金(経済産業省、80億円)などがそうだ。
●なぜ“流用”は起きたのか?
なぜ、こうした“流用”が起きたのか?
財政事情が厳しいなか、各省庁がなんとか抜け道を見つけて予算を獲得しようと血眼になっていることはある。しかし、それは中央省庁の官僚たちのレーゾンデートル(存在理由)で、その行動様式を改めろ、というのはナンセンスだ。その習癖を前提に考えなければならない。
最大の要因は、政治家が復興に全力で取り組んでいることをアピールしたいがために、被災地の物理的な実情を無視して予算の規模だけを大きく見せようとしたことにある。2011年、12年両年度の合計復興予算は約17兆円に達し、計画の19兆円にあと2兆円と迫っている。
一気に被災地の実情を無視して多額の予算を投入すれば、ゼネコンなどにぼろ儲けさせる懸念が強まるうえ、事業資金を詐取する“不心得業者”が続出する可能性も高くなる。小まめに被災地の実情を把握し、小刻みに復興予算を組んでいけば、そうしたリスクを避けられるはずだが、政治家は“大風呂敷”が大好きだ。だから、予算を編成する時点で、歳出規模を大きく取り、純粋に復興に限ってしまうと、枠が余ってしまうのだ。官僚たちがその隙を突き、便乗しようとするのは当たり前なのだ。
国家全体を見渡し政策を決めるのが仕事なはずの政治家たちが近視眼的な習癖を持つ官僚たちを監視し、チェックするのが政治主導なはずだ。しかし、政治家たちは国民受けする規模の予算を示せば、それでおしまいなのが現実だ。
●監視機能を放棄したジャーナリズム
ならば、「そうした政治家たちを監視するために、ジャーナリズムがあるじゃないか?」というが、そのマスコミがジャーナリズムとしての役割を放棄して久しい。特に大マスコミは政治家同様、国民に最もわかりやすい規模の大小を報じれば、事足れり、という意識で、中身まで詳しく伝えようとはしない。
最初に19兆円の復興予算の流用問題を取り上げたのは地方紙、河北新報の連載企画「東北再生/あすへの針路」の第6部だ。第1回目(6月20日)の『便乗予算/震災名目、支出に疑問符/省庁主導、構想力欠く』という大ぶりの企画記事の中で、「復興との関連が疑わしい主な事業」という表を載せている。
そして、7月30日発売の「週刊ポスト」(小学館/8月10日号)である。その1カ月余りのちの9月9日、『NHKスペシャル』が「シリーズ東日本大震災/追跡 復興予算 19兆円」というタイトルで同じ問題を取り上げた。ポストの取り上げ方が地味だったこともあり、NHKの番組をきっかけに一気に注目され、大新聞も後追い記事を大きく載せだした。
●事実を黙殺する、記者クラブの記者たち
しかし、このテーマ、まず口火を切るべきなのは全国紙やNHK・キー局の大マスコミの報道記者でなければならない(番組部門が制作する『NHKスペシャル』は報道局の記者は関与していない)。経済官庁の記者クラブに所属している報道記者なら知っていて当然の情報ばかりだからだ。要するに、大マスコミの記者たちの怠慢と無能さを浮き彫りにさせたのだ。