(「野村ホールディングスHP」より)
金融庁の幹部をして「リーマン・ブラザーズ買収後、野村はガタガタになった」といわしめた、経営の悪化が渡部を追い込んだ。
08年4月、グループCEOに財務畑出身の渡部賢一が就いた。彼が、右腕となるグループCOO(最高執行責任者)に据えた柴田拓美は、ロンドンに12年いたほか、香港、米ボストンなど計17年間、海外に駐在した国際派だ。流暢な英語でジョークを連発するため“宇宙人”と呼ばれていた。
同年9月、米投資銀行のリーマン・ブラザーズが経営破綻した。COOの柴田は香港とロンドンに飛び、リーマンのアジア・太平洋部門と欧州・中東部門を、立て続けに買収することを決めた。価値が下落する恐れがある不動産、有価証券などの資産や、負債は引き継がず、投資銀行の最大の財産である人材に絞って買収を提案。欧州・中東部門の買収価格はたったの2ドルだったと誇らしげに語ったものだ。
野村は国内市場ではガリバーだが、国際的な投資銀行業務では海外の大手の足元にも及ばない。その野村が米ウォール街の大手投資銀行と肩を並べる企業に変身するチャンスに賭けたのだ。リーマンの破綻からわずか10日後のことだった。
渡部=柴田コンビの決断は「巨象が目覚めた」と市場から賞賛された。リーマンの事業統合が完了した最初の通信簿といえる10年3月期決算で、海外事業を含む国際ホールセール(法人営業)部門で1750億円の税引き前利益を叩き出した。野村HDの利益の源泉である国内のリテール(個人営業)を上回る歴史的な事件だった。
リーマン買収と海外事業の拡大はうまくいっているかに見えた。この時が渡部=柴田コンビの絶頂期だった。
ユーロの通貨危機が勃発して、すべてを吹き飛ばした。野村の社員の平均年収は1000万円台なのに、リーマンの社員は4000万円台。リーマンの株式部門や投資銀行の8000人を引き継いだのだからたまらない。ギリシャに端を発した欧州債務危機で、外人部隊の人件費がさっそく重荷になった。国内のホールセール部門の日本人社員までリーマンの部隊にならって成果連動型の賃金体系に変えてしまっていたから、踏んだり蹴ったりである。気がついたら、どう逆立ちしても利益が出ない高コスト体質になってしまっていた。
12年3月期の海外部門の赤字は、1290億円(税引き前の段階)に膨らんだ。人件費を中心に、計12億ドル(約960億円=1ドル80円で換算)のコスト削減に追い込まれた。それでも渡部=柴田は思い切った海外部門のリストラに踏み切ることを躊躇した。確かに投資銀行業務は、人材が全てという側面がある。
リーマン買収の失敗が明々白々となったわけだ。リーマン出身者よりずっと少ない報酬で働く、国内のリテール部門の社員から、この買収を主導した渡部、柴田の経営責任を問う声が日ごとに高まってきた。「国内営業を知らないトップによる机上の空論の結末がこれだ」。国内営業組は激しく反発した。