(「Wikipedia」より)
2012年12月中旬。東京都の経団連会館で開かれた東芝の記者懇親会。ある役員は記者たちにこうささやいた。「ダメな者同士が結婚しても、どうしようもない。あれは……ありえない枠組みですよ」
懇親会の直前には、資金繰り悪化に苦しむルネサスへの産業革新機構やトヨタ自動車などの出資が決定。ルネサス再建の枠組みが見えてきたことで、懇親会でも業界の最大の焦点だったシステムLSI再編が話題に上がったが、3社への合流の可能性を東芝役員陣は完全に否定したわけだ。
参加した記者からは「(東芝が)取り残されるのでは」との質問もあったが、担当役員からは「航空業界ならば、あっちはJAL、こっちはANAかな」など、冗談でかわす「余裕」すら見せたほどだ。
●東芝も計算違い
東芝にとってシステムLSIは頭が痛い事業。まさに「放蕩息子」。ほかの日本勢と同じく、DRAMで敗北した90年代末、複数の機能を1チップ化したシステムLSIで巻き返しを狙ったが、これが完全な計算違いだった。
東芝の元社員は、こう振り返る。
「システムLSIは汎用品のメモリーと異なり、顧客の要求に応じて設計開発する。そのため、規模の勝負になりにくく、日本企業に勝機があると見えた。ただ、顧客の要求に応えていたら、製品点数が膨大に膨らんだ。先端工場をつくるには数千億円の投資が必要だが、多品種少量生産のため、ビジネスとしてはまったく儲けられないモデルになってしまった」
不採算体質であることは明白で、2000年代初頭から、業界では再編話が何度も持ち上がった。だが、「経営体力がへたにあったため、各社譲らず、まとまる話もまとまらなかった」(東芝元社員)。
結局、2008年のリーマンショック後に赤字出血が止まらなくなり、重い腰を上げざるを得ない状況にまで追い込まれた。前出の元社員は語る。
「当時の西田厚聰社長(現会長)は、システムLSIの分社化に躍起になっていました。他社と合弁をつくることで、本体への業績への影響を抑えたかったのです。実際、旧NECエレクトロニクス(現ルネサス)や富士通に話を持ち込んだのは有名な話。ただ、西田さんは分社後も主導権を握りたがったために、話はまとまりませんでしたが」
結局、旧NECエレは旧ルネサステクノロジを相手に選び、2010年にルネサスエレクトロニクスが誕生したのは周知の通りだ。
●システムLSI事業、事実上の開店休業の時期も
リーマンショック後の景気の持ち直しで赤字幅は減少したものの、東芝にとってシステムLSIが懸念事業であることには変わりない。巨額投資で生産設備を増強したが、顧客である日本の家電メーカーの不振などもあり、「事実上、開店休業状態の時期もあった」(東芝関係者)。固定費だけが重くのしかかった。
「スマートフォンなどに使うNAND型フラッシュメモリーで儲けても、システムLSIが足を引っ張る構図は今もそのまま。一時期は、売り上げはいずれも3000~4000億円ですが、一方は20%前後の営業利益率をたたき出し、もう一方は数百億円の赤字ですから。雇用の関係で簡単に工場も閉鎖できない。システムLSIの主力拠点・大分工場の人間をNAND生産拠点の四日市工業に送り込むなどして生産調整を続けてきましたが、さすがに限界がある」(装置メーカー幹部)