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震災から19年、神戸市がもたらした“復興災害”~市民の資産毀損させ、他県企業優遇

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新長田まちづくり HP」より
 兵庫県神戸市では、人災による復興災害が起きている。1995年に発生した阪神淡路大震災から19年が経過し、神戸の街を歩いていると、すっかり復興を成し遂げたかのように見える。再開発事業や区画整理事業が行われ、数多くの超高層ビルやマンションがそびえ立っている。しかし、「19年たったからこそ見えてきたものがある」と、神戸市長田区に暮らす住民は話す。はたして神戸は復興を成し遂げたのだろうか?

 神戸市長田区にある新長田駅周辺は、濃厚なほどに下町・神戸の色彩を残していた町だった。ケミカルシューズの工場や卸店舗が多数立ち並んでおり、それらが神戸経済を支えてきたといっていいだろう。

 95年1月17日、神戸市長田区にある新長田駅周辺は無残な光景に変貌した。それは “壊滅的”という言葉がふさわしいほどの被害で、直下型地震の恐ろしさを完膚なきまでに見せつけられた。ケミカルシューズの町であったことから、可燃物がいたるところに散在していた。そのため、火が方々に飛び移っていった。

 震災前、新長田駅周辺は、アーケードで覆われた商店街が縦横に連なっていた。工場、店舗、商店、長屋、アパートが入り混じり、住宅・商業・工業の混同地域だった。そこにあるほとんどの建物は木造の2階建てか平屋で、幹線道路以外は無数の路地で構成されていた。

 建物被害を見てみると、全壊が1万5521棟、半壊は8882棟と、区全体の57.2%の建物が倒壊した。倒壊率は神戸市全体の30.8%の2倍近い。新長田駅周辺で最も賑わいを見せていた大正筋商店街も、店舗の約9割が焼失した。

●神戸市主導で行われた再開発

 震災後、大正筋商店街一帯は神戸市主導で復興再開発事業が行われ、マンションと商店街が一体となった複合施設群「アスタくにづか(1~6番館)」に生まれ変わった。地下1階から地上2階までが商業店舗で、その上に30階建ての住宅棟が連なっている。遠目は豪華な施設だが、空き店舗がいたるところで見受けられ、シャッター通りとなっている。

 神戸市主導の再開発事業によって築かれた街並みは、活気があった震災前の風景とは大きくかけ離れたものとなった。まさしく行政の施策が引き起こした“復興災害”と言っていいだろう。

 神戸市は、震災からわずか2カ月後の95年3月17日に再開発計画を発表した。「新長田駅南地区」は総事業費が2711億円という、当時、西日本最大の再開発事業で、神戸市が中心となって約20ヘクタールに及ぶ広大な土地を買収し、高層ビルを含む44棟のビルを建設する計画だった。しかし、2013年末時点において完成しているのは34棟で、3棟が工事中、7棟は今後建設予定という。

 神戸市は従前の土地、建物などを全面的に買収し、商店街で商売をしていた権利者たちは新たに建設される再開発の建物のフロアを譲り受けるか、さもなくば地区外に転出するか、いずれかの選択を迫られた。

 しかし、再開発事業は、権利者が別の場所で事業を続ける費用をまかなえるだけの価格で、市が土地を買い取るという前提があって初めて成り立つ。さらに再開発後に地価が上昇し、元の権利者へ新たに割り当てられる土地の価値も増大するという右肩上がりの経済状況でなければ機能しない。震災があった95年1月はバブル崩壊から数年が経過しており、右肩上がりの経済状況でないことは誰の目にも明らかだった。

 住民たちにとってはまさに寝耳に水の発表だったが、兵庫県震災復興研究センター事務局長の出口俊一氏は、「少なくとも大震災が起きた9日後の1月26日には、30ヘクタールの計画が考えられていた」と話す。

 1月26日といえば、貝原俊民兵庫県知事(当時)が「禍の中に福あり。今までやりたいと思っていてもできなかったが、震災によって21世紀都市をつくっていくことが可能になった」と発言して物議を呼んだ日だ。