そして新車発表で心機一転、反転攻勢に向かおうとした矢先、自動車部品大手タカタ製のエアバッグの欠陥問題が噴出。米国やマレーシアではタカタ製エアバッグを搭載しているホンダ車で死者が出た。ホンダは原因が判明していない段階で、消費者の安全確保を最優先し、リコールの対象を拡大。調査を目的としたリコールを日本や全米を含めた全世界に広げることを決めた。全世界でのリコール対象台数は1340万台以上に膨らむ見通しで、世界販売台数の実に2年分を優に上回る規模となった。
調査リコールを全世界に広げることを決めたホンダは、15年3月期に200億円超の追加費用を計上する。それにより営業利益が押し下げられ、当初見込まれていた前期比3%増の7700億円の営業利益は、達成が難しいとの見方もある。
タカタ製エアバッグのリコールは、日米欧の全自動車メーカーで計3000万台を超える可能性が指摘されており、空前の規模となる。「タカタの問題はホンダの問題」という認識が世界に広がったことに対して、ホンダの経営陣は鈍感だった。タカタは1987年、ホンダの要請でエアバッグの量産を始めた。現在、ホンダ車の約半数にタカタ製エアバッグが搭載されているほか、ホンダはタカタの1.2%の株式を保有する第10位の大株主だ。ホンダの伊東孝紳社長は今回のリコールでタカタが立ち行かなくなった場合に人材流出が起きることを懸念し、「誰も助けないのならホンダが経営を支援する」と表明しているが、度重なるリコールの元凶は伊東氏だという厳しい指摘が社内外にある。
●リストラの副作用
ホンダの新車づくりは開発子会社の本田技術研究所(山本芳春社長)が担い、研究所が作成した図面を元に本社工場が量産するかたちを取ってきた。開発部門を別会社にしたのは創業者の本田宗一郎氏で、本社の業績に一喜一憂せず、長期的視点で新車づくりに励むという理念による。そのため、ホンダの歴代社長は研究所の社長を経て就任するのが慣例だった。
リーマン・ショック後の09年にホンダ社長に就任した伊東氏は、当初はあえて研究所の社長を兼務し、全社的なリストラを断行。研究所を聖域としなかった。多くの企業が最終赤字に沈む中、ホンダは大幅な黒字を維持し、どんな状況下でも利益を出せる企業に育てたとして、伊東氏の経営手腕は高く称賛された。
だが、相次ぐリコール問題は、開発期間の短縮やコストの圧縮を命じてきた伊東氏の経営手法の副作用がもろに出たと受け止められている。