4大金融グループに再編された際には、力関係でシステムを一方に集約する「片寄せ方式」が取られた。東京三菱銀行がIBM、三井住友銀行がNEC、UFJ銀行が日立となった。だが、第一勧業銀行と富士銀行、日本興業銀行が経営統合し発足したみずほフィナンシャルグループだけは、片寄せされることなく各行のシステムが残った。
東京銀行の勘定系システムを担っていた富士通は、三菱銀行と東京銀行の合併でそれを失い、さらに三井住友銀行の誕生でさくら銀行のシステムも失った。さらにみずほ銀行の誕生で第一勧業銀行のシステムを失うと、4大金融グループすべてから外されることになり、富士通にとっては死活問題に発展する。追い詰められた富士通は秋草直之社長(当時)が先頭に立ち、すさまじいばかりの営業攻勢をかけたといわれている。
みずほ銀行の発足では富士銀行(IBM)のシステムへの片寄せが有力視されていたが、第一勧業銀行(富士通)が巻き返した。コンピュータについての知識がなかった3行の頭取は、社内の政治力学で判断した。3行それぞれの勘定系システムを残し、それをリレーコンピュータでつなぐ暫定方式を採用。3行のメンツを立てた妥協の産物だった。そしてこのボタンのかけ違いが、みずほ銀行が02年4月1日の開業初日に大規模なシステム障害を引き起こす伏線となった。
●メガバンクを失った日立
数度の金融再編を経て、メガバンクは3行に集約された。メガバンクの勘定系システムの争奪戦に敗れたのは日立だった。06年に誕生した三菱東京UFJ銀行の勘定系の争奪戦でIBMに敗れ、旧三和銀行と旧東海銀行の時代から続けてきた都銀の勘定系ビジネスを失った。その数年前には、広島銀行の勘定系をIBMに奪われている。
メガバンクを失った日立は背水の陣を敷く。地銀では負けるわけにはいかない。日立が巻き返しの柱に据えたのが、NTTデータ、ユニシスとの提携だった。NTTデータから勘定系システムの開発を請け負った。ユニシスとは金融分野で提携関係にあり、ユニシスの勘定系は日立製サーバーを使っている。
南九州の金融地図を大きく変えるといわれている肥後銀行と鹿児島銀行の経営統合では、コンピュータシステムはどうなるのか。勘定系は肥後銀行が日立、鹿児島銀行はユニシス。全方位外交を取る日立が挽回できるかどうか、その成果が問われることになる。
(文=編集部)