政府は5年後をメドに紙幣デザインを一新し、新1万円札の肖像を渋沢栄一、新5千円札を津田梅子、新1千円札を北里柴三郎にすると発表した。
新1万円札に選ばれた渋沢栄一。一般にはなじみの薄いこの人物は、「日本近代資本主義の父」と呼ばれる。なぜか。それは、栄一が設立(もしくは設立に参加)した法人を見ればわかるだろう。
1873年 第一国立銀行(のち第一銀行、第一勧業銀行を経て、現・みずほ銀行)を設立。
1873年 王子製紙株式会社(現・王子ホールディングス)を設立。
1875年 商法講習所(現・一橋大学)の設立に参加。
1878年 東京株式取引所(現・東京証券取引所)を設立。
1879年 東京海上保険会社(現・東京海上日動火災保険株式会社)を設立。
1880年 横浜正金銀行(のち東京銀行、現・三菱UFJ銀行)創立委員長。
1881年 日本鉄道会社(のち日本国有鉄道、現・JR東日本)の設立に参加。
1885年 東京瓦斯(現・東京ガス)の設立に参加。
1886年 東京電燈(現・東京電力)の設立に参加。
1887年 帝国ホテルの設立に参加。
勤王から幕府側へ、そして欧州渡航
渋沢栄一(1840~1931年)は、天保11年に武蔵国榛沢郡血洗島村(埼玉県深谷市)の豪農の子として生まれた。同い年の人物に、2015年のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』で重要な登場人物であった長州藩の久坂玄瑞がおり、1つ年上に高杉晋作、1つ年下に伊藤博文がいる。
当時の若者がそうであったように、渋沢栄一も尊皇攘夷運動に感化され、栄一は数人で高崎城乗っ取りを企てるのだが、同志が捕縛されたことにより攘夷運動をあきらめる。そして、江戸遊学で知り合った一橋徳川家家臣の推挙で、同家の家臣となる。勤王から幕府側に急展開。イデオロギーもクソもあったものではない。ところが、これが栄一の運命を大きく変えていく。
1866年に一橋徳川家の当主・徳川慶喜(よしのぶ)が征夷大将軍に就任。渋沢は幕臣に取り立てられるのだ。しかも、翌1867年に開催されたパリ万国博に、将軍の名代として慶喜の実弟・徳川昭武が派遣されると、栄一は昭武に随行して使節団に加わり、欧州各地を視察することとなった。ここでの経験が、のちに「日本近代資本主義の父」と呼ばれる素地をつくったのだろう。欧州のすぐれたインフラ基盤を体験した栄一は、この便利な生活を日本でも実現したいと思ったに違いない。