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1万円札になる男・渋沢栄一が、三菱の創設者・岩崎弥太郎には勝てなかった“能力”とは

文=菊地浩之
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三菱の岩崎弥太郎とは合わなかった

 栄一はのちに「わしがもし一身一家の富むことばかりを考えたら、三井や岩崎にも負けなかったろうよ。これは負け惜しみではないぞ」と子どもたちに語ったという逸話が残っている。ここでいう「岩崎」とは、いわずと知れた三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎である。明治初年の経済界の大物といえば、渋沢栄一と岩崎弥太郎だった。しかし、2人はあまり仲がよくなかった、というか意見が合わなかったらしい。

 弥太郎は、「三菱会社は、たまたま名称も体裁も会社のようにしているが、多くの出資を集めるために会社形式を採ったわけではない。その実態は岩崎家単独の事業であるから、事業に関する判断や従業員の人事などはすべて、社長・岩崎弥太郎の決裁を仰ぐように」と宣言した人物である。

 一方の栄一は「合本(がっぽん)主義」の権化で、多くの人々から資本を集めることによって企業を設立する、株式会社形態をもっとも有効活用した人物だった。栄一は、古河財閥の古河市兵衛、大倉財閥の大倉喜八郎、浅野財閥の浅野総一郎などとも親しく、彼らを支援したり、共同して企業を設立したりしている。

 ただし、弥太郎と栄一が意気投合して、いずれかの方向にしか尽力しなかったら、日本の産業界はもっと遅れていただろう。
(文=菊地浩之)

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●菊地浩之(きくち・ひろゆき)
1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『徳川家臣団の謎』(角川選書、2016年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)など多数。

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