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杉江弘「機長の目」

総額1兆円投下のスペースジェット、開発失敗で凍結…三菱重工、正気を失った経営が原因

文=杉江弘/航空評論家、元日本航空機長
総額1兆円投下のスペースジェット、開発失敗で凍結…三菱重工、正気を失った経営が原因の画像1
三菱スペースジェット(「Wikipedia」より

 期待されていた国産初の日の丸ジェット旅客機の失敗が明らかになった。三菱重工業は10月30日、スペースジェット(旧MRJ)の事業化を凍結することを決定した。

 これは時間がかかりすぎて量産初号機の納入を6度も延期しながら形式証明取得のメドも立たず、ビジネスとして成功する自信がないことを認めたものだ。私は専門家としてかなり前からスペースジェットに足りないところを指摘し、ライバル社と競争していくには何が必要かを述べてきた。そして昨年には“すでに勝負あり”とまで言ったが、残念ながら予想は的中した。

 私が今回の事態を予想した根拠について、2019年8月26日付の当コラム『三菱スペースジェット(旧MRJ)、中国製やブラジル製に勝る“ウリ”が何ひとつない』で詳しく述べてきたが、テクニカルの問題以外の要因についても指摘してみたい。

三菱重工の経営は深刻な事態に

 三菱航空機はわずか2年前には2021年3月期に売上高5兆円を目指す中期計画を掲げていたが、2019年度に4646億円の債務超過に陥り、2020年6月末には有利子負債残高は2894億円増えて8877億円に膨らんだ。純現金収支も3395億円の赤字となって親会社の三菱重工の経営基盤をも揺るがす事態となっている。

 三菱重工はこれまでスペースジェットの開発費に計約1兆円を投じているが、投資家の不満も大きくなり10月15日に株価は1984年以来、36年ぶりの安値水準となった。このような財務体質になったのは、カナダのボンバルディアのリージョナルジェット機「CRJ」買収に巨額の資金を使ったことも要因である。2020年6月にCRJを買収した資金は約590億円、くわえて約200億円の債務も引き受けるというものであるが、私はどうしてもこの買収の意義を理解できない。

 というのも、CRJはスペースジェット開発当初はブラジルのエンブラエルと並んでライバルの航空機であったが、その後需要はどんどん減って世界の航空会社から新規には相手にされない機種となっている。私のある同僚も最近まで乗務していたが、時代遅れと酷評していたくらいである。

 ボンバルディアにとってCRJがお荷物になってきたばかりか、こうしたなかで航空機部門から撤退して鉄道部門に集中する戦略に変更したばかりであった。小型機のCシリーズも欧州エアバス傘下に入り、あとはCRJの負の遺産をどう片付けるのかという状況にあった。つまり、三菱側の買収提案はいわば渡りに船であったのだ。

 この件について三菱側は、CRJの技術と世界各国のネットワークを利用してスペースジェットの開発を進めることばかりに力を入れ、販売後のアフターケアの戦略を描けないまま突き進んできたことを認めたようなものだ。

開発失敗の原因

 失敗の原因をまとめてみると、まず三菱が国産の軍用機などのノウハウだけで米国での型式証明が取れると思い込んでいたことだ。日本の工業製品のJIS規格では、現代の複雑化した高度のハイテク機の型式証明を米国で取得するのは困難であり、それを補うために米国やカナダから精通した技術者を早くから技術陣に加える必要があった。

 だが、それに気がついて補強したのは2016年になってからだ。エキスパートと呼ばれる外国人技術者を300人規模に増やし、仕上げに2018年にボンバルディアで小型機のCシリーズの開発メンバーであったアレクサンダー・ベラミー氏をCDO(最高開発責任者)に起用した。しかし、時はすでに遅く、スペースジェットの基本的な設計に手を加える時間も余裕もなく、電気系統、配線など数千にのぼる箇所の修正に追われる日々が続いたのである。

 そして、三菱航空機社内の人事紛争により、2020年6月にベラミー氏は退任。後任の開発責任者に国産戦闘機開発の技術者である川口泰彦氏が就任した。その流れで400人近い外国人技術者の多くが去り、7月以降は22人いた幹部社員が日本人のみの6人となった。社内には開発当初から外国人の手を借りる必要がないという意見も多く、このような内紛を繰り返してきたといってよいだろう。

 それを表すように、スペースジェット開発に加わりテストパイロットの任に当たったのは元自衛隊のパイロットであり、民間エアラインの経験はない。そのためスペースジェットの最高巡航高度が3万9000フィート(エンブラエルは4万1000フィート)、巡航速度はマッハ0.78(同0.82)と性能に劣る点についても改善の必要性をアドバイスできなかったと推察する。実はこの性能の差は大したことがないように思われるが、エアラインパイロットにとっては非常に大きい差といえる。 

 今日、最高巡航高度は4万1000フィート(ちなみにジャンボ機では4万3000フィート)以上が常識であり、乱気流を避けるため私自身もエンブラエル機でしばしば高高度を飛行した。スペースジェット開発の失敗の原因は、この例のようにライバルのエンブラエルの研究不足にあった。その背景にあるものは、ブラジル製のエンブラエルに日本が負けるはずはないと過信していたことだ。そのためプラット&ホイットニー(PW)製のギアードファン・エンジン搭載で燃費を向上させて勝負できるとして、エンブラエルの詳しい情報を得ず、エンブラエルの設計はドイツ人が深くかかわっていたことも軽く見ていた。

 私はエンブラエル機が日本に導入された2009年から3年間乗務していたので、警鐘を鳴らしてきたが、技術陣には届かなかったようだ。そして時間がたつ間にエンブラエルも同じPW社のエンジンを搭載するようになり、スペースジェットの「売り」は完全に消え去ったといって良い。

予断をもって開発を進めたツケ

 三菱の見通しの甘さはほかにもある。スペースジェットはこれまで長い間90席仕様のスペースジェット90の開発を優先して、米国での型式証明を取得することに力を入れてきた。しかし、ここにきて急遽70席クラスの機種の開発を優先させる方針転換を図った。

 その理由は北米市場での特殊な事情にある。「スコープ・クローズ」と呼ばれるリージョナル機の座席や最大離陸重量を制限する米国内での労使協定によって、簡単に90席の機材を売り込むことができないのである。この労使協定は中型機以上のパイロットがリージョナルジェットの進出によって身分や待遇が低下しないように、一般の旅客機とリージョナルジェットとの線引きをするものである。

 ところが、三菱側はこの協定はそのうち廃棄または変更されるものと予断をもって開発してきたのである。しかし、2019年になっても協定は変わらず、慌てて協定上許される70席クラスの開発に変更したものであった。ちなみに協定では座席数は88席までの航空機でないとリージョナルジェットとして認められない。

 以上のような要因がスペースジェット開発の失敗に影響しているものと考えられるが、根本的な開発の未熟さも指摘しておきたい。スペースジェットの約7割は輸入部品から成っているが、自動操縦システムやFMS等はほかの航空機では実績があるからといって、それらを使い組み立てれば済むと考えたら大間違いだ。胴体や翼は国産であり、機体本体とそれら輸入部品、それに新型PW製エンジンを搭載した後のシステムのマッチングや安全性、さらに性能保証といった課題をクリアしてはじめて米国でも型式証明を取得することができる。

 そのためには知恵と経験が必要なのである。2020年6月26日の株主総会で担当役員が「経験不足は否めない」と説明したように、民間ジェット旅客機の開発や製造に関するノウハウが欠如していたことに尽きるのである。

国の課した責任は重大

 スペースジェットのプロジェクトには国も支援し、その額は500億円ともいわれている。いわば官民一体となって国産初のジェット旅客機の開発製造に臨んできたものだ。しかし、国民の税金を投入して三菱側に計画を丸投げして損失を出した責任をどうとるのか。さらに国は後ろ盾になってANAやJALに導入させようとして、大幅な値引きをもって両社の事業計画に導入を組み入れさせたという。

 それによってANAはローンチカスタマーとなり世界で先駆けて導入することを決め、JALは現有に加え今後増強するエンブラエル全機をスペースジェットに置き換えるという事業計画を決めたのである。

 なぜ、これまでリージョナルジェットとして定着したエンブラエル機をスペースジェットに置き換える必要があるのか。パイロットや整備士の訓練も一からやり直す必要がある。しかし、誰がどう考えても性能や安全性で優り、アフターケアの体制も充実し、自らも実績のあるエンブラエル機を全機、スペースジェットに置き換える必要があるのか。これは正気の沙汰とは思えないのである。

 おそらく現場のパイロットや整備士もみな、内心疑問に思っているであろう。甚大な設備投資も伴うこの計画で、JALはいったいどうなるのか。新型コロナまでは順調な業績で来たJALも今後が見通せなく、手持ち資金もどんどん減っているなか、こんな馬鹿げた計画を予定通り実行するのなら再び経営破綻をも招く事態となる可能性もあるだろう。

 私は、このような理不尽な計画は国の意向なしではありえないと思っている。しかも、ある意味良い機会なので事業計画を修正してエンブラエル機の運用を続けていくという判断を期待する。

メディアと識者、それに国民全体での反省が必要

 歴史を振り返ると、先の大戦では三菱が中心となってつくった軍用機は世界的に優れた水準であったものの、米国の戦闘機や爆撃機には遠く及ばなかった。戦後も出遅れがあったにせよ、初の国産旅客機のYS-11は営業的に失敗した。そして今回の国産初のジェット旅客機の開発製造も量産体制にこぎつけることはできなかった。

 では、いったい何がそうさせたのか。ここは我々国民がしっかりと経緯を総括しないと、再び日の丸ジェット機の夢を無定見に追い求めたり、有事ともなれば己の力を過信して悲惨な結末を招くことになるのではないか。

 三菱重工はプライドがやたら高い企業としても有名であるが、それは今回のスペースジェットの開発製造においても表れている。ライバルのエンブラエル機を過小評価したり、外国人技術者より日本人の技術者でやっていけると考えたりしたことである。

 しかし、今回の失敗の責任は三菱と国だけにあるのではない。今般の事業凍結が決まってからは、多くのメディアや識者は私がこれまで述べてきたような問題の一部をここぞとばかりに取り上げているが、これまでどうであったか。

 2015年11月11日に名古屋の県営空港で初飛行したときは、日の丸ジェットが成功したかのように大騒ぎして、たび重なる納入延期が発生してもいずれは型式証明を取得して量産体制に入り、ライバル会社と渡り合って成功するかのように思っていたのではないか。

 言い過ぎかもしれないが、公の場で当初から問題点と改善点の提案をしながら事業の失敗を予測していたのは、不肖私ぐらいではないか。識者のなかには、三菱重工の体質やマーケットの事情から批判の目を向ける方々もいたが、スペースジェットとエンブラエルやCRJの航空機そのものの性能や安全性について評論した方は、私の知る限り皆無である。これらについての指摘は何もパイロットでなくても、正確な分析を加えれば不可能ではない。

 多くの識者やそれを使うメディアが、当初から開発製造における問題点を指摘していれば、これほどまでに損失を拡大させ、再起不能と思わせる結末にはならなかったと思うが、いかがであろうか。

(文=杉江弘/航空評論家、元日本航空機長)

杉江弘/航空評論家、元日本航空機長

杉江弘/航空評論家、元日本航空機長

1946年、愛知県生まれ。1969年、慶應義塾大学法学部卒業。同年、日本航空に入社。DC-8、B747、エンブラエルE170などに乗務する。首相フライトなど政府要請による特別便の経験も多い。B747の飛行時間では世界一の1万4051(機長として1万2007)時間を記録し、2011年10月の退役までの総飛行時間(全ての機種)は2万1000時間を超える。安全推進部調査役時代には同社の重要な安全運航のポリシーの立案、推進に従事した。現在は航空問題(最近ではLCCの安全性)について解説、啓発活動を行っている。また海外での生活体験を基に日本と外国の文化の違いを解説し、日本と日本人の将来のあるべき姿などにも一石を投じている。日本エッセイスト・クラブ会員。著書多数。近著に『航空運賃の歴史と現況』(戎光祥出版)がある。
Hiroshi Sugie Official Site

Twitter:@CaptainSugie

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