
自宅で妻に暴力を振るったとして、警視庁渋谷署は2月6日、日本マクドナルドホールディングス(HD)元会長兼社長の原田泳幸(えいこう)容疑者(72)を逮捕した。
<逮捕容疑は2月5日、都内の自宅で妻の腕や脚をゴルフの練習器具で殴った疑い。妻からの通報で警視庁が事情を聴いていた。本人は容疑を否認している>(2月7日付読売新聞朝刊社会面より)。
妻はシンガー・ソングライターの谷村有美(55)。慶應義塾大学在学中の1986年に出場したCBSソニー主宰のオーディションでグランプリを受賞し、87年にデビュー。『がんばれブロークン・ハート』(89年)、『信じるものに救われる』(95年)などのヒットを放った。当時のガールズ・ポップスの中心的存在だった。
原田は普段からジャズドラムの練習を欠かさないほどジャズが好き。年1、2回ライブを開催し、ジャズドラムの演奏を披露する。原田がドラマーを務めていたアマチュアバンドのゲストボーカルとして谷村が出演したのがきっかけで、2002年に結婚した。
原田は米アップルコンピュータ日本法人の社長やベネッセホールディングス会長兼社長を歴任した「プロ経営者」として知られている。2019年12月からは、タピオカティーで知られる台湾茶カフェ「ゴンチャ」を展開するゴンチャ ジャパン(東京都)の会長兼社長を務めている。
「プロ経営者」としての評価が頂点に達した後、一気に下落した日本マクドナルドHD時代を検証してみよう。原田の経営手法が典型的にあらわれているからである。
創業者、藤田田の経営システムを解体
「今から新しいバスが出発する。新しいバスのチケットを買いたい人は乗れ、買いたくない人は乗らなくていい」
2004年5月、日本マクドナルドHDのCEO(最高経営責任者)に就いた原田が、幹部を集めて発した第一声がこれだった。自分が運転するバスに乗る者には、それ相応の覚悟を求め、その覚悟がない者は会社を去れという意思表示だった。
藤田商店社長の藤田田(ふじたでん)は、マクドナルドという米国のファーストフード業態を直輸入した。1971年創業の日本マクドナルドは、31年間社長を務めた藤田のワンマン経営による拡張路線が功を奏して、外食大手の一角に飛躍した。
2000年代初頭、「59円バーガー」を売り出した。過度の値下げで集客して、その後、値上げするという価格政策のブレから、結局、客離れが進み、業績が悪化した。
米国本社は、アップルコンピュータ日本法人社長として剛腕を振るった原田をヘッドハンティング。日本マクドナルドの体質をつくり変えるために、原田を落下傘経営者として送り込んだ。アップルの主力商品マッキントッシュ(Macintosh)とマクドナルドの愛称がともにマックだったことから「マックからマックへの華麗な転身」と話題になった。