これまでの炭素中心社会の地球温暖化の弊害を防ぐため、現在、世界的に脱炭素=水素中心社会への変革期を迎えている。主要国の政府や企業は、一斉に水素の利用に向けた取り組みを強化している。水素の可能性は大きい。水素は燃料や発電に利用でき、燃焼時には二酸化炭素(CO2)が排出されない。また、水素はエネルギーの貯蔵手段にもなる。経済全体でのより効率的かつ循環的なエネルギー供給と消費を目指して水素利用が重視されている。
それが意味することは、世界が、脱炭素から水素を中心とする社会と経済の運営に急速に向かい始めたことだ。水素社会を目指した取り組みに関して、日本では岩谷産業が存在感を示している。突き詰めていえば、同社は水素社会を支えるインフラ企業を目指そうとしているとの印象を持つ。
中長期的な展開を考えると、岩谷産業にとって水素関連事業は成長の柱として重要性が高まるだろう。同社がスピード感をもって水素製造などに関する信頼性の高い技術を確立することは、世界各国の水素社会への取り組みに影響を与える。そうした成長の機会を手に入れるために、岩谷産業は独自の取り組みに加えて国内外の企業や研究機関などとの連携を強化する必要がある。
水素社会実現に向けた取り組み
世界的に、水素の利用によって社会と経済の運営(水素社会)を目指す国が増えている。なぜなら水素はCO2を発生しない。水素利用のために、主に製造工程における脱炭素技術の重要性が高まっている。世界的なエネルギー源のパラダイムシフトを引き起こしている主役は水素だ。
以上の点を踏まえたうえで、水素社会を目指した各国での取り組みを確認しよう。日本では、岩谷産業が水素社会を目指して積極的に事業を展開している。岩谷産業といえば、食卓で使う簡易ガスコンロなどに使われるカセットボンベが思い浮かぶ。しかし、同社は創業当初から、水素が究極のクリーンエネルギーであるとの考えを堅持し、水素の製造や輸送、貯蔵、利用に関する技術を開発してきた。
同社の水素事業が自動車分野でのイノベーションに与えた影響は軽視すべきでない。トヨタやホンダが水素を用いた燃料電池自動車(FCV)の実用化を実現した背景には、岩谷産業による水素ステーションの運営がある。そうした取り組みに押されるようにして、日本政府は水素利用を重視し始めているように見える部分もある。
海外に視点を向けると、リーマンショック後、欧米を中心に水素の可能性への注目は徐々に高まった。米国では、iPhoneのヒットを実現したアップルなどが、ITデバイスの駆動時間を長くするために水素を用いた燃料電池の開発に取り組んだ。IT先端企業にとって、環境負荷の小さいエネルギー源を活用することによって持続的かつ循環的なエコシステムを確立し、その結果として成長と脱炭素への寄与を目指すことの重要性は高まっている。
欧州では、ドイツが気候問題の解決などに向けて水素社会の実現を急いでいる。自動車が主力産業のドイツにとって、岩谷産業やトヨタが連携してFCV利用を支えるインフラを整備していることは脅威だろう。コロナショックからの経済の立て直しのためにも、ドイツは水素社会への取り組みをより重視している。米バイデン政権も水素を重視している。国際世論の変化に押されるようにして、有力産油国であるロシアやサウジアラビアが水素社会への取り組みを進めている。
水素事業の強化にとり組む岩谷産業
水素の製造方法はさまざまある。その中で注目されているのが、“グリーン”と“ブルー”と呼ばれる水素の製造方法だ。まず、グリーン水素とは、再生可能エネルギーによって得られた電力を使って水を電気分解して製造される水素を指す。また、 ブルー水素とは、化石燃料を用いたガス化などの技術とCO2を回収・貯蔵する技術を組み合わせて生産される水素を指す。そのために脱炭素技術の重要性が高まっている。
現在、ドイツなどの欧州各国はグリーン水素の活用をより重視している。その背景には、欧州各国の政府や企業が注力してきた再生可能エネルギーの利用を推進し、国際世論における欧州の影響力を強めたいとの目論見があるだろう。ただし、グリーン水素の生産は気象状況などに左右される。米国のように想定外の寒波などが発生した場合の電力需要に対応するためには、水素製造源の分散が必要だ。
岩谷産業は、グリーンとブルー、両方の水素を視野に原料、製造、輸送、利用を支えるサプライチェーンの確立に取り組んでいる。グリーン水素に関して、岩谷産業は“福島水素エネルギー研究フィールド”の運営に携わっている。福島水素エネルギー研究フィールドではトヨタ自動車が水素利用の実証事業に意欲を示すなど、震災からの復興と水素社会の実現の両面で注目を集めるだろう。岩谷産業は、オーストラリアの電力会社や鉄鉱石企業、およびわが国の川崎重工と協力して、再生可能エネルギー由来の水素製造、水素の液化および輸送事業の確立を目指している。
また、ブルー水素の分野で岩谷産業は内外の企業と連携してオーストラリアで褐炭を用いて水素を製造し、多国間の水素サプライチェーン構築を目指す実証試験を行う。現在、日豪政府は、米国およびインドとの連携(日米豪印のクアッド体制)を強化して自由で開かれたインド太平洋地域の実現を目指している。その状況下、岩谷産業と豪州企業などとの連携強化は、インド太平洋地域における水素社会への取り組みを加速させる要因の一つになり得る。
アライアンス強化の重要性
このように考えると、世界各国が水素社会の実現を目指す中で岩谷産業は相対的に良好な競争ポジションを手に入れているといえるだろう。同社に期待したいことは、さらなる競争力の発揮を目指すことだ。そのためには、自社内での研究・開発の強化が欠かせない。それに加えて、国内外の企業などとのアライアンスを推進して、水素社会を支える技術を生み出すことの重要性も一段と増す。そうした取り組みが、水素社会を支えるインフラ企業としての岩谷産業の競争力発揮を支えるだろう。
例えば、米国では化石燃料を用いた水素製造技術の開発に取り組むスタートアップ企業がある。それに加えて、廃棄物を原料に水素を製造する技術の確立に取り組む企業もある。米国の自動車産業ではエンジン専業メーカーがFCVへの研究開発に取り組み始めた。そうした変化をもたらした要因の一つとして、岩谷産業がトヨタ自動車などと協力してFCV利用のインフラを整備したことは大きいだろう。岩谷産業が水素関連分野での影響力を高めるためには、自社の技術やノウハウと新しい発想の結合を増やすことが欠かせない。
岩谷産業は国内外で異業種との連携や合弁事業に取り組んでおり、その重要性をしっかりと認識している。それが、同社の成長期待を支えている。2020年9月頃から同社の株価は上昇傾向が鮮明化した。世界が水素社会の実現を目指す中で、岩谷産業の存在感が一段と高まる展開を想定する投資家は多いようだ。
今後、岩谷産業には、水素分野の世界的なリーディング・カンパニーとしての立場を目指してもらいたい。そのために、グリーンとブルー水素の製造コストの引き下げや、持続的な水素利用を支える技術とシステム開発の重要性は高まる。岩谷産業が内外の企業と連携して水素の製造や消費を支えるより良い技術を確立することは、各国が水素社会を目指す中でわが国の発言力向上を支える要因の一つにもなるだろう。それくらいの大胆な発想を持って、同社経営陣が水素に関する事業戦略を立案・実行する展開を期待したい。
(文=真壁昭夫/法政大学大学院教授)