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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

オリンピックだけじゃない!オーケストラも古代ギリシャ発祥、人を感動させる圧倒的パワー

文=篠崎靖男/指揮者
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「Getty Images」より

 東京2020オリンピック・パラリンピックでは、毎日が感動でした。考えてみたら、通常の生活のなかで感動することなど、頻繁にはありません。オリンピックでは、205の国と地域、難民選手団から1万1000人が参加し、339種目が行われたわけですから、もし全部見ることができたとしたら、2週間半の間に339回も感動できたことになります。その後のパラリンピックも、161の国と難民選手団。オリンピックに比べて半分以下の参加人数ではありましたが、競技数は540種目に上り、その数だけ感動があったのです。

 オリンピックという言葉の語源は、古代ギリシャの地名で、古代オリンピックが行われていた街、オリンピアです。当時、競技会が行われている期間中は、あらゆる戦争が休戦とされていたと伝えられており、近代オリンピックにおいても、係争中の国々の選手がスタジアムに一堂に介してスポーツに打ち込むという、オリンピック精神に受け継がれていることはよく知られています。古代都市オリンピアは、今もなお聖地中の聖地で、遺跡のヘラ神殿で採火された聖火が、今回も東京のオリンピックスタジアムまで運ばれてきたことは、ご存じの通りです。

 古代ギリシャのスポーツの祭典を原型とした近代オリンピックですが、ヨーロッパ暗黒の中世の後に出現したルネサンスも、古代ギリシャに深いかかわりを持っています。

 暗黒の中世と言いましたが、暗黒にしていた大きな理由のひとつは疫病のペストです。14世紀に起こったペスト第2波では、中国の人口を半分に減らし、あっという間にヨーロッパに広まり、イギリスやイタリアでは人口の8割が死亡したともいわれています。全滅した街や村まであったそうですが、当時は細菌の存在も知られておらず、民間療法のような治療や迷信に頼るしかなかったので、悪魔の仕業と考え、疫病に呪われた街を捨てて、国境を越えて遠くに逃げた裕福な人々が、ほかの土地にも伝染させていくことになりました。

 最終的にヨーロッパの3分の1の人口が減ったといわれていますが、労働人口も激減してしまい、経済を立て直すのにも長い年月がかかりました。ただ、農村部では持ち主がいなくなった農地を得て、豊かになった農民も少なくなかったといわれています。そして、王様も民衆と同じようにペストで倒れたことから、身分の差などなんの意味もないという思想も現れ、ルネサンス運動につながっていきます。

オーケストラは古代ギリシャが発祥?

 ペストによって中世に終止符が打たれ、それから始まったルネサンスについて、学校の歴史の授業では「文芸復興」と教わったと思います。しかし、「ルネサンス」の元々の言葉の意味は、「再生・復活」です。このおぞましい疫病に生き残った人間が、エネルギッシュに立ち上がった時代だったことは、当時の絵画や彫刻からもわかります。中世では、表情が無く描かれていたイエス・キリストや聖母マリアの宗教画が、ルネサンスの巨匠ミケランジェロの『最後の審判』のように、人間の表情が感情豊かに描かれるようになりました。

 ルネサンスは、音楽においても改革の嵐となって強く影響を及ぼしました。大きな出来事は、イタリアでのオペラの出現です。中世で音楽といえば、教会を中心とした声楽音楽でしたが、音楽重視だったため歌詞の内容はわかりづらいものでした。それがルネサンスとなり、人間自身の感情を表現する時代となったことで、歌詞がはっきりと理解できる音楽に急変革していきます。そんななかで、歌手同士のやり取りによって物語が進んでいくオペラが出現してきたのは当然ともいえます。

 しかし、当時の作曲家にとっては、これまでになかったオペラですから、原型モデルが必要でした。そこで目をつけたのは、近代オリンピックと同じく古代ギリシャです。ちなみに、ルネサンス時代に、音楽家をはじめとした芸術家が理想に掲げたのは、古代ギリシャです。暗黒の中世よりもはるか昔、紀元前の時代に美しく栄えた古代ギリシャに芸術の理想を求めたのです。それは、イギリスの大英博物館をはじめとして、欧米の博物館や美術館の建物は、芸術の殿堂としてギリシャ神殿を真似て建てられていることからも、よくわかります。

 ルネサンス後期になって舞台芸術家たちは、古代ギリシャの野外劇場で行われていた劇に注目し始めます。残された遺跡から、ステージ上では主役たちが演技をして、ステージの前面ではダンサーや合唱団が歌ったり、踊ったり、時には楽器や太鼓を演奏したり、お囃子のようなことをしていたことが、今ではわかっています。そのダンサーや合唱団が陣取っていた場所を「オーケストラ」と呼んでいたようです。

 そこで、古代ギリシャから千数百年後のルネサンスの音楽家たちは、古代ギリシャ劇の音楽バージョンとしてつくられたオペラのステージの前で、楽器を演奏して歌手を伴奏する集団をオーケストラと呼ぶようになったのです。ルネサンスの音楽家たちが、古代ギリシャをモデルとしていなければ、オーケストラ指揮者という僕の職業名もなかったことになります。

本来は、オペラ=ギリシャ悲劇だった

 このような経緯で、オペラの題材はギリシャ悲劇ということに決まっていました。ギリシャ悲劇でないと、正式にオペラと呼ぶことすらできなかったのは、モーツァルトの時代まで続きます。ちなみに、モーツァルトはフリーメイソン会員であり、啓蒙思想主義者のかなり先進的な作曲家です。

 革命前夜のフランスでは禁じられていた『フィガロの結婚』、すなわち庶民が王侯貴族をからかう題材を、あろうことか皇帝がいるウィーンで初演して大成功を収めます。実際には、渋る皇帝からなんとか許可を得ていたようですが、下手をすると両手が後ろに回っても不思議ではなかったところです。しかし、それよりも大きな問題は、『フィガロの結婚』の物語がギリシャ悲劇ではなく、スペインが舞台だったことです。これではオペラとして演奏できないので、そんな面倒な決まりごとがない“喜劇オペラ”として上演したのです。とはいえ、喜劇的要素もふんだんに散りばめられていることもあり、今もなお大人気オペラです。

 東京オリンピックに話を戻します。このギリシャ発祥のスポーツの祭典は、疫病が1年半にわたり世界中の人々の心まで苦しめて続けているなか、大きな希望の光を与えてくれたと思います。こんなに歓喜や感動をすることは久しぶりだった方も多かったのではないかと思います。これから「再生・復活」に向けて進まなくてはならない世界にあって、現代のルネサンス時代が始まればと、歴史を振り返りながら思う限りです。

 オリンピックの感動は、来年の北京冬季オリンピックでもやってきます。しかし、同じく古代ギリシャ発祥のオペラやオーケストラをはじめとした、すべての音楽は、今日も皆さんを感動させることができます。ぜひお楽しみください。
(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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