
10月31日投開票の衆議院議員総選挙では、同時に最高裁裁判官の国民審査が行われる。裁判官たちに、今後もこの仕事を続けてもらうかどうかを国民が投票によって判断し、結果次第では、裁判官を辞めさせることもできる重要な制度だ。今回は、全部で15人いる最高裁裁判官のうち、前回の総選挙以降に就任した11人が審査の対象になる。
国民審査に関する情報発信に消極的な最高裁
日本国憲法では、最高裁の裁判官は「任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙」と「その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙」で国民審査を受ける、と定められている。ただ近年は、多くの裁判官が60歳過ぎてからの就任で、70歳が定年のため、2度目の審査を受けずに退職するケースがほとんどだ。
国民審査で投票した人の多数が「辞めさせたい」という意思表示すると、その裁判官は罷免されることになっている。これまで罷免された例はないが、それは必ずしも国民が最高裁裁判官を信任してきた、ということを意味していない。
というのは、国民審査の投票用紙にはあらかじめ対象裁判官の名前が印刷され、「辞めさせたい」人に「×」印をつける、というやり方で行われるからだ。そのため、積極的な信任の意思表示はできない仕組みだ。「この人はぜひ続けてほしい」という人がいても、決して「○」印をつけてはならない。「×」以外を記入すれば、それは無効票になってしまう。
「続けてほしい」人も、「よくわからない」という場合も、同じ無印にするしかなく、こうしたやり方は、投票する国民の側からすると、実にわかりにくい。本当は、「辞めさせたい」人には「×」、「続けて欲しい」人には「○」、「わからない」という場合には無印のままとすれば、国民は意思表示をしやすい。裁判官が国民からどれほど信任されているかもわかりやすい。にもかかわらず制度改正の議論が起きないのは、国民審査に対する関心度の低さも一因だろう。
そしてその原因は、メディアと最高裁の姿勢にある、と思う。新聞もテレビも、総選挙に関しては、各選挙区での情勢分析、候補者らの主張や選挙活動、各政党の公約や獲得議席予想など、さまざまな情報を伝えるのに、最高裁国民審査に関する情報はわずかだ。
最高裁も、各裁判官に関して国民が理解しやすい情報を提供することに、消極的だ。最高裁のホームページを探せば、全裁判官のプロフィールは掲載されているものの、国民審査対象が誰であるかも表示されていない(10月25日現在)。それぞれの裁判官が、どういう事件でどのような判断をしたのか、国民に丁寧に説明しようという姿勢はみじんも感じられない。投票日前に、選挙公報と同じ判型の国民審査公報が各戸に届くが、これもよほど司法に詳しい人でなければ、なかなか理解しがたい代物だ。
そのため国民の多くは、審査対象の裁判官についても、国民審査の意義についても、よくわからないまま審査に臨まなければならない、という事態が続いている。