1月は各分野で大手企業の社長交代発表が相次いだ。経営体制を刷新する企業もあれば、実力者がトップとして引き続き影響力を維持する企業もある。
キヤノン、社長後継者は同郷人
キヤノンは3月30日付で社長兼最高執行責任者(COO)に専務の真栄田雅也氏が昇格する。会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)の御手洗冨士夫氏は会長兼CEOとして引き続きグループ全体を統括するため、実態として御手洗氏が実権を握る構図は変わらない。
御手洗氏は1995年に社長、2006年に会長となった。10年に経団連会長を退任後、経営の第一線に返り咲き、12年から社長を兼務してきた。
最初の社長時代の御手洗氏はキヤノンを日本有数の高収益企業に変貌させた。しかし、12年に御手洗氏が社長に復帰した後のキヤノンの業績は足踏み状態となった。成長をけん引したデジタルカメラはカメラ機能付きのスマートフォン(スマホ)の急速な普及に押されて、成長が鈍化した。
16年12月期から始まる中期経営計画では企業向け事業の強化を掲げる。監視カメラや商業印刷といった新規事業へ注力し、成長を軌道に戻したいとしている。
真栄田氏は1975年に九州大学工学部を卒業後、キヤノンに入社した。技術者として祖業のカメラ畑を歩いた。2000年代にはカメラ事業を指揮する立場となり、フイルムカメラからの買い替えが進んでいたデジタルカメラに注力。デジカメをドル箱に育てた。
御手洗氏は「クローニー・キャピタリスト」(縁故資本主義の経営者)と呼ばれる。同氏の社内人脈は故郷の大分県佐伯市の人脈と重なる。そもそも、御手洗氏が経営改革に成功したのは、「しがらみ」と無縁だったからだ。23年間米国に駐在していたため、親分子分や貸し借りの人間関係に煩わされることなく、ビジネスで合理主義を貫き通すことができた。この利点の裏返しともいえるが、損得を度外視して御手洗氏のために汗を流す人間が社内にいないのだ。
06年、後任社長に据えた内田恒二氏は佐伯鶴城高校の後輩だ。御手洗氏は大学受験のため佐伯鶴城高校から東京・小山台高校に転校している。財界活動に専念している間に実権を奪われないように、同郷で息のかかった内田氏を社長に選んだといわれている。
今回、社長に引き上げた真栄田氏も同郷だ。真栄田氏の出身地、宮崎県延岡市は大分県佐伯市の隣町で、通勤・通学地域は同じだ。
新中期経営計画の5年間、御手洗氏はトップであり続けることになる。社長の椅子は確かに譲ったが、85歳までトップを続けると宣言したようなものだ。これでは、キヤノンが成長軌道に戻る保証はどこにもない。