銀行から見た、証券業界の“再編史”
2020年7月19日より、2013年に放送され大好評だったドラマ『半沢直樹』(TBS系)の続編が放送開始された。8月2日に放送された第3話の視聴率は23.2パーセント(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、今回も大ヒットを予感させられるが、この第2シリーズの舞台は、銀行の子会社、証券会社である。
いまやメガバンクは金融持株会社の頂点として、銀行・信託・証券・クレジットカードなど、幅広い業態の会社を傘下に持っている。しかし1990年代までは持株会社が解禁されておらず、異業態への参入も規制されていたので、銀行としては証券業への参入に色目を使ってはいたものの、大手証券会社との業務提携、中小証券会社の事実上の買収という手を使うほかなかった。
メガバンク再編以前、大手銀行といえば、六大都市銀行(三井・三菱・住友・富士・三和・一勧)であり、大手証券会社といえば、四大証券(野村・山一・日興・大和)だった。住友銀行が大和証券、三菱銀行が日興証券と山一証券、富士銀行が山一証券と提携していた。四大証券トップの野村証券は、三井銀行・三和銀行と「親しい」といわれていた。どこが違うかというと、野村以外の三社は銀行が主、証券会社が従の関係だったが、野村と三井・三和は、むしろ野村に主導権があったというニュアンスのようだ。
さらに大手銀行は、中小の証券会社を事実上買収していった。
通常、買収とは株式の過半数を取得することをいうのだが、銀行は他業態とは比べものにならないくらいカネを持っているので、これで企業を買収していくと、やがては産業を支配し、いびつな産業構造になってしまう危惧がある。そこで、他業態の株式は上限10%(のち5%に改正)までしか所有できないのだ。そこで、親密な企業に名義を貸してもらって(=株式を持ってもらって)、実質的に支配。社長をはじめ、役員を天下りさせていたのである。
中小証券会社は合併、合併、また合併の憂き目に
ところが、こうした銀行と証券の関係は、1990年代に大きな変化を迎える。
バブル経済が崩壊し、資本市場としての東京の世界的な地位が低下していくと、国内経済を活性化するために大胆な規制緩和を実施すべきだという気運が盛り上がり、「日本版金融ビッグバン」と呼ばれる大規模な規制緩和が実施された。そのひとつに、業態別子会社による異業種参入および業務分野規制の撤廃があった。より具体的にいうと、銀行が証券子会社を設立。証券会社が銀行子会社を設立して、互いに異業種参入しようというものである。
そして1997年11月、「四大証券」の一角、山一証券が破綻し、証券業界はかつてない危機感に包まれる。銀行も証券も合併再編・業務提携の大きな波に呑み込まれていった。
周知の通り、大手銀行はまず4つのメガバンク、そして、さらに3つ(三井住友・三菱UFJ・みずほ)に集約された。そして証券会社の場合は、大手はさらに踏み込んだ業務提携、中小は銀行の都合で合併、合併、また合併という憂き目を見た。
東京三菱銀行は激怒? 銀行に翻弄される「四大証券」
「四大証券」のひとつ、日興証券は、1998年5月に米トラベラーズ・グループ(のちに米シティグループに合併。以下、米シティグループ)との資本提携に踏み込んだ。
この業務提携発表を聞いて、東京三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)首脳が激怒する。
東京三菱銀行としては、証券会社と手を結ぶなら日興証券だと考え、日興証券もその気を見せていたらしい。ところが、諸説あって真相は五里霧中なのだが、どうやら多少の行き違いがあったらしく、日興証券は米シティグループとの業務提携になびいてしまったのだ。
東京三菱銀行は、日興証券の業務提携発表から10日もたたないうちに、事実上傘下におさめていた菱光証券と大七証券を合併させて東京三菱パーソナル証券を設立し、これに証券子会社の東京三菱証券(旧・三菱ダイヤモンド証券)も合同させると発表。独自に三菱グループの証券会社を育成する意思を表明した。さらに当時、もっとも優良な中堅証券と名高かった国際証券を買収し、2002年に傘下の証券会社(東京三菱証券、東京三菱パーソナル証券、一成証券)を合併させて、三菱証券を設立する。
日興証券の顧客には三菱グループ企業が名を連ねていたから、米シティグループもそれをアテにしていたのに、提携して早々に反目を買ってしまったのだから、困惑することこの上ない。
一方、三菱証券はその後モルガン・スタンレー証券を吸収合併し、三菱UFJモルガン・スタンレー証券となって、いまでは「五大証券」の一角と呼ばれるほどの地位を占めるまで育っていったのだから、日興証券からすれば目も当てられない。
同じく「四大証券」のひとつ、大和証券は、1999年12月に住友銀行(現・三井住友銀行)との提携を選んだ。
大和証券はリテール分野(大和証券)とホールセール分野(大和証券SBキャピタル・マーケッツ[略称・大和証券SBCM、のち大和証券SMBCに改称。SMBCは三井住友銀行の略称])をそれぞれ子会社として分離し、自らは大和証券グループ本社と改称して持株会社になった。さらに、大和証券SMBCに住友銀行から40パーセントの出資を受け入れ、合弁会社とした。
もともと住友銀行は証券部門への進出に積極的な都市銀行として知られ、この業務提携を機に大和証券SMBCに行員を出向させ、証券戦略を積極化していった。
一方、大和証券は住友銀行に主導権を渡さないように抵抗し続けたようだ。このことが住友銀行からの不満を招き、さらなる証券業界再編への伏線となっていく。
三井住友FG、最終的に大和証券とオサラバ
米シティグループもリーマン・ショックで経営不安に陥り、日興コーディアルグループ(旧日興証券)の所有株式売却を決断し、入札を実施する。
その最有力候補はみずほフィナンシャルグループで、三菱UFJフィナンシャル・グループとの一騎打ちが予想されたのだが、最終的に手に入れたのは三井住友フィナンシャルグループ(旧・住友銀行。以下、三井住友FG)だった。
先述したように、三井住友FGは大和証券グループ本社との業務提携で証券部門への足がかりを築いていたが、主導権を握ることができず、業を煮やしていた。なので、買収によって完全に支配下に置ける日興コーディアルグループは魅力的だったわけだ。
こうして、三井住友FGは傘下に旧・日興証券、提携相手に旧・大和証券を持つことになった。旧・日興証券を完全な支配下に置いた三井住友FGにとって、主導権を握らせない証券会社は無用の長物でしかない。2009年に大和証券グループ本社との提携を解消。2011年に日興コーディアルグループを完全子会社としてSMBC日興証券と改称させたのだ。
ドラマ『半沢直樹』では、親会社である銀行による理不尽な証券子会社イジメが繰り返されるのだが、子会社が親会社のいうことを唯々諾々と聞いていたとは限らない。
昭和のバンカーにとって、怖い者は株主ではない(当時はまだ株主の力が弱かった)。役所(大蔵省[現・財務省、金融監督庁])とOBだ。これは証券子会社の話ではないのだが、大物OBが関連会社に天下ったまま、居座って銀行と対立し、現役役員を困らせる……という話は皆無ではない。もちろん関連会社の人事は銀行が握っているのだが、大物OBを更迭できるような大物バンカーなど、そうそうはいなかったであろう。