「〇×ゼロ番地、入れるお車ありませんか?」
タクシーに乗車中、こんな無線が聞こえてくることがある。私たちドライバーはわかる場所だが、乗客にはどこのことかわからないはずだ。
あるとき、「運転手さん、ゼロ番地ってどこですか?」と聞かれた。
「どこだと思います?」
「わからない。住所にゼロってないよね?」
「はい。特別なところです」
「わかった。警察署でしょ」と言われたが、そうではない。
火葬場である。
「あの世には番地がない」「霊(=0)からきている」など諸説あるが、いずれにせよ「火葬場」と耳にしていい気分になる人はいないため、無線係は隠語を駆使するわけだ。
かくいう私も、新人時代は意味がわからなかった。「飛び地のこと?」などと想像したが、先輩ドライバーに聞いて「なるほど」と納得したのを覚えている。
近距離客は「ゴミ」、ヤクザは「トエンティー」
このように、タクシー業界には多くの隠語がある。乗務を終えたドライバーのセリフの一例を挙げてみよう。
「今日は足切りに足りなそうで、ブッコミ覚悟でイッパツを狙ったんだよ。青タンだったけど、ハナ番なので我慢してね。ゴミだったらイヤだな、と思ってたらトエンティーが乗ってきて、なんとオバケだったよ。ロクまで出て助かったー」
この会話、翻訳すると次のようになる。
「今日は売り上げが上がらないので、近距離客を引いたら自腹納金するつもりで、長距離客狙いの付け待ちをしたんだ。深夜の割増時間帯だったけれど、順番待ちの先頭なので離れずに我慢してね。近距離客だったらイヤだな、と思っていたところ、ヤクザ風の男が乗ってきて、超長距離客だった。おかげでノルマに達して、しかもチップまでもらえて助かったよ」
各語の解説は、以下の通りだ。
・足切り…ノルマ
・ブッコミ…自腹納金
・イッパツ…長距離客狙いの付け待ち
・青タン…深夜割増料金
・ハナ番…客待ちの先頭
・ゴミ…近距離客
・トエンティー…ヤクザ風の男(8+9+3=20からきている)
・オバケ…思いもよらぬ長距離客(運転手にもよるが、私は2万円以上の乗客をオバケとしている)
・ロク…チップ(余禄からきている)
絶対乗せたくない「カバンの忘れ物」とは?
では、隠語を用いた無線連絡の例を記すので、意味を考えてみてほしい。
「JR錦糸町駅、赤ランプです」
これは、「駅のタクシー乗り場が客であふれ、タクシーがいない」という合図だ。当然ながら、付近を走るタクシーは駅に車を向けるが、駅に向かう途中が「魚群」(街中に客があふれている状態)の場合、途中で「キャッチ」(流し営業で客につかまること)されると駅の乗り場に入れなくなる。そして、魚群もほとんどは「ハズレ」(思ったほど長距離ではない客。深夜ならおおむね1500円以下)である。
「311(無線番号)、お座敷です。営業所有線願います」
これは、無線番号「311」のドライバーが運行管理者から「会社に電話(有線)をせよ」と呼び出されるケースだ。花柳界で「お座敷」といえば、芸者さんに「仕事が入ったよ」という意味で使われているが、タクシー業界では、ほとんどが注意やお叱りである。乗客からクレームが入った場合、身に覚えのある運転手は嫌々連絡することとなる。
「青梅街道下り・中野付近、感度不良です」
勘のいい人ならおわかりかもしれないが、正解は「ネズミ捕り」(警察の取り締まり)である。タクシー無線は電波法で輸送情報以外の伝達を禁じているため、こうした隠語を駆使しているわけだ。「落下物注意」などの隠語を用いる会社もあり、ネズミ捕りを目撃したドライバーが無線連絡する場合、「電線工事中」などとすることもある。
「品川区東品川で大きな忘れ物がありました」
これは、「付近で重大事件があり、犯人が逃走中」という意味で使われる。
タクシーはさまざまな場所を走るだけに、事件の犯人を見かける確率も高く、「不審な人物を見かけたら協力してほしい」という要請である。
これに対して、「カバンの忘れ物、ありました」と返答したら、「犯人らしきあやしい人物を乗せています」というコールサインとなる。
我が身に危険が迫った場合、ドライバーは手元のスイッチを押して行燈を赤く点滅させる。もし、行燈が点滅しているタクシーが走っていたら、運転手が危険な状況にあるか、ひざなどが当たって間違えて点滅させたかのどちらかだ。
めったにないケースだが、「大きな忘れ物にはかかわりたくない」と、ほとんどのドライバーが思っている。もちろん、私もだ。
(文=後藤豊/ライター兼タクシードライバー)