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福岡ホークス元社長、「再生請負人」から強制わいせつで有罪へ…選手とファン激怒させボイコット事件も

文=編集部
福岡ホークス元社長、「再生請負人」から強制わいせつで有罪へ…選手とファン激怒させボイコット事件もの画像1引退セレモニーの際の小久保裕紀氏

 高塚猛氏(プロ野球球団・元福岡ダイエーホークス<現福岡ソフトバンクホークス>社長、元ダイヤモンド社社長)は8月27日、慢性腎不全で死去した。享年70。持病の糖尿病が悪化し、2013年1月に脳梗塞となり、寝たきりの状態だったという。岩手県盛岡市の自宅で闘病生活を送っていた。

 高塚氏は事業再生請負人の半生を送った。

 1947年、東京・浅草生まれ。都立一橋高校を卒業し1965年、リクルートに入社。上司を上司とも思わぬ押しの強さが当時のオーナー、江副浩正氏に認められた。その後、リクルートでは数々の記録を残している。

 22歳で福岡営業所の所長に抜擢され、1年後には売上高を前年比15倍に伸ばし黒字を達成した。24歳の時に大阪支店の営業課長として、値引きゼロ、売上目標達成率1位、売上金回収100%を達成。25歳で週刊就職情報誌を創刊、1年で黒字化。続いて月刊住宅情報事業の責任者として赤字だった同事業を1年後、号あたり1億円の広告収入をあげる有力媒体に育て、黒字にした。

 江副氏の命を受けて、29歳の時にリクルートが経営再建を引き受けた盛岡グランドホテルの総支配人として赴任。わずか1年で黒字にしてみせ、売上高3.5億円を7年後の85年には21.9億円の優良企業に変身させた。

 続いて安比高原リゾートホテルも立て直した。91年、盛岡グランドホテルなど6社を統括する岩手観光ホテル(現岩手ホテル&リゾート)の代表取締役に就任した。高塚氏はリゾートホテルを再生させた辣腕の実業家と呼ばれるようになった。

 リクルートを傘下に収めていたダイエー創業者の故中内功氏が、その手腕を見込み99年4月、高塚氏に福岡プロジェクトを任せることにした。福岡の事業は中内氏の次男、中内正氏が担当していたが赤字続きだった。福岡ダイエーホークス、福岡ドーム、ホークスタウン(シーホークホテル&リゾート、ホークスタウンモール)を福岡事業の3点セットという。

 ドームやホテルの運営会社福岡ドームの副社長に就いた高塚氏は、卓越した経営手腕を発揮し、わずか2年で軌道に乗せ、2000年に球団社長に就任。01年には福岡ドームの観客数を、当時のパシフィック・リーグ新記録となる308万人にした。これは巨人に次ぐ記録だった。

 高塚氏は「平成の再生請負人」と話題になった。

中内正氏が1円で球団オーナーの座に

 2000年秋、世にいう「1円売却事件」が起こる。中内功氏が正氏にホークス球団株を1円で譲渡した。正氏はたった1円でオーナーの座を手に入れた。

「ホークス球団株は、ダイエーが60%、功氏が40%保有していました。ダイエー本体の業績悪化の責任を問われた功氏は、会長辞任に追い込まれました。創業したダイエーを石もて追われた直後に球団株式を1円で売却したのです。ダイエーに取り上げられてしまう前に、せめて球団だけでも息子に譲っておこうと考えたのでしょう」(ダイエーの役員OB)

 新しい体制になったダイエーを率いる社長の高木邦夫氏は、中内家を排除するために02年2月、正氏を東京のダイエー本社に呼び出し、グループ企業のいっさいの役職返上、所有する球団株式40%の供出を求めた。

 この時、助け舟を出したのが高塚氏だった。「オーナーの正氏が辞めるなら自分も辞める」と社長の高木氏にねじ込んだ。福岡の事業を黒字にした高塚氏に辞められては困るため、正氏への要求は福岡ドームの代表取締役社長などすべての役職の辞任だけにとどめ、球団株式の放出要請は撤回した。そして正氏は代表権のない福岡ダイエーホークスのオーナー兼取締役にとどまることができた。これ以来、正氏は高塚氏に頭が上がらなくなった。

 オーナーといっても正氏には実権はなく、お飾りでしかなかった。球団社長の高塚氏が02年に球団オーナー代行となった。

 その後、高木氏は追い討ちをかけた。03年10月、ダイエーは球団への貸付金80億円のうち60億円を株式化した結果、ダイエーの持ち株比率は98%に達し、正氏の持ち株はわずか2%に低下した。これで中内家による球団経営は終わった。

セクハラ事件で逮捕

 高塚氏が事業再生請負人の人生を全うできなかったのは、選手とファンを敵に回したことが原因だ。ホテルの再生では凄腕を発揮したが、野球そのものにはまったく興味がなかった。選手になぜ、あれほどの高給を支払うのかわからず、高いコストの要因としか考えなかった。そのため、有名選手の年俸カットに大鉈を振るった。

 1999年、日本シリーズでMVPを獲得するなどキャプテンとして日本一に貢献した人気選手の秋山幸二氏(前福岡ソフトバンクホークス監督)を減俸。同年、工藤公康氏(現福岡ソフトバンクホークス監督)との年俸交渉の際に、「君の登板する火曜日には観客の入りが悪い」と言い放ち、読売ジャイアンツ(巨人)へのFA移籍を決定的にした。

 03年に「小久保事件」が起きた。小久保裕紀氏(前野球日本代表監督)の巨人への無償トレードだ。右膝の故障で03年シーズンを棒に振ったとはいえ、生え抜きでチームの顔であった小久保選手の突然のトレードは、優勝パレードの翌日に発表された。これにチームメイトやダイエーファンが激怒し、チームは優勝旅行をボイコットした。

 小久保事件の真相は高塚氏の小久保選手に対する報復といわれている。高塚氏のセクハラに球団の女子職員やマスコットガールは泣かされていたとの情報が広まり、主将の小久保選手が高塚氏にこれをやめるよう直言したことから両者の関係は険悪になったようだ。小久保選手は右膝の怪我を公傷扱いとして認めてもらいたいと主張したが、高塚氏がこれを拒否。米国での治療費や渡航費2000万円は小久保選手が自分で払った。

 高塚氏との感情的対立もあって小久保選手は青山学院大学の先輩であるオーナーの正氏にメジャー移籍を申し入れた。入団以来、後ろ盾となってきた正氏は条件付きで小久保氏にOKを出していたが、高塚氏は小久保選手を自由契約にすると強硬に主張した。高塚氏は小久保選手を「2億円の不良債権」と決めつけたのだ。

 窮地に立たされた正氏が泣きついたのが巨人の渡邉恒雄オーナー(当時)だ。これで小久保選手の巨人への無償トレードが決まった。有力選手の無償トレードは前代未聞のことだった。

 一連の騒動に選手やファンが激怒。高塚氏追放の運動が盛り上がり、高塚氏はセクハラを告発され失脚する原因となった。

 さらに、親会社のダイエーに内緒でダイヤモンド社の社長に就任していたことが発覚。ホークスタウンに高塚氏の書籍1万冊を「営業用消耗品」の名目で購入させたことなど、さまざまな不祥事が噴出した。04年9月、運営会社社長を解任され、オーナー代行も辞任した。

 同時に、ホークス球団はソフトバンクに身売りした。ほかの福岡事業は米投資ファンド、コロニー・キャピタルが買収した。

 高塚氏が解任された直後の04年10月、高塚氏は女性社員らにセクハラ行為があったとして強制わいせつ容疑で逮捕・起訴され、05年10月に懲役3年・執行猶予5年の有罪が確定した。高塚氏は自著で「普通はセクハラになるところだが、そうならないのが高塚マジックだ」と自慢するほどのセクハラ魔だったことも、判明した。

 高塚氏はリゾートホテル再生のスーパーマンだったが、球団経営で墓穴を掘った。ちなみに、同氏が追放された後、巨人にトレードに出されていた小久保氏はホークスに再移籍し、ファンの歓呼の声に迎えられた。
(文=編集部)

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