マーケティングのフレームワークに「STP」と呼ばれるものがある。「セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング」の略だ。漠然と「顧客」を捉えるのではなく、セグメントに分け、そのなかでターゲットとするセグメントを絞り、ターゲット顧客にとって魅力的な製品やサービスを提供していくというものだ。
たとえば、18年間にわたって赤字であったハウステンボスを再建したエイチ・アイ・エス(HIS)の澤田秀雄会長の事例をみてみよう。澤田氏は、ハウステンボスの再建にあたって、顧客セグメントを「時間帯」と「客層」という2軸で分類している。それぞれの軸を3つずつ、合計3×3=9つのセグメントに分けてマーケティング戦略を練っている。時間帯は、朝、昼、夜の3つに区切って顧客の動きを観察している。客層は、ヤング(若者)、ファミリー(家族連れ)、シニア(高齢者)の3つに分け、それぞれに人気のアトラクションやイベントの有無を確認している。すでにサービスを提供しているから、その顧客を丹念に観察することが可能である。
観察してすぐにわかったことは、客層を3つに区切る以前の問題として、そもそも夜に楽しめるアトラクションやイベントが少なかったことである。また、再建当時はLED照明がまだ普及していなかったこともあり、夜のイルミネーションを落としていた。夜に照明を使うと電気代もかかる。コスト削減の観点からいえば当然のことであった。
しかし、これは顧客を呼び込むというマーケティングの立場に立つと、本末転倒だと澤田氏は考えたのである。そこで、逆にイルミネーションの充実を指示し、必要な予算を付けた。すると、顧客の数は次第に増えていったのである。
そんなことはセグメントを9つに分類するまでもなく、つまりSTPなどというフレームワークを使わなくても、すぐにわかるのではないかという反論に対し、澤田氏はこう論破する。
「果たしてそうでしょうか。実際に分類したからこそ、当たり前の事実を見落としていることが浮き彫りになったのです」
ターゲティングのジレンマ
STPはマーケティングの基本であるが、その実践は意外と難しい。特に、ターゲティング、つまり、どのセグメントを狙うかという絞り込みが、思いのほか手に余る。あまり狭く絞りすぎると社内の稟議が通らない。そんなに市場が狭くては魅力がないとなるからだ。かといって、広げ過ぎると、製品やサービスのコンセプトがぼやけてしまい、魅力的な製品やサービスにならず売れない。ここに「ターゲティングのジレンマ」という問題が存在する。
「ターゲティングのジレンマ」を解決する、つまり、ターゲット・セグメントを絞って製品やサービスを尖らせつつ、同時に、市場を広げるにはどうしたらよいだろうか。そのコツを実際のケースから考えてみよう。
RIZAPのターゲット・セグメントはどこか
今やRIZAP(ライザップ)を知らない人はまずいないだろう。ビフォアー・アフターでダイエット効果がはっきりとわかる独特のCMを打ち、「結果にコミットする」というメッセージを明確に伝えている。
そのRIZAPが「ターゲットとしているセグメントはどこか?」と問われれば、「体重を落とし、体形を整えたい中高年」ということになるだろう。「中高年」としたのは、体形が崩れる年齢ということもあるが、RIZAPの価格に耐えうる年代という意味でもある。
この解釈は間違いではない。しかし、RIZAPはダイエット市場での成功をスタートに、英会話市場やゴルフ市場にも進出している。これは、ターゲット・セグメントを変えたということだろうか。
実は、RIZAPのターゲット・セグメントが「ダイエット市場」ではなく「三日坊主市場」なのだと解釈すれば、ターゲット・セグメントは最初からまったく変わっていないということに気づく。ここに、冒頭に掲げた「ターゲティングのジレンマ」を解決する糸口がある。
ターゲッティングの攻め方
RIZAPが最初から「三日坊主市場」をターゲットにしていたかどうかは別として、「ターゲティングのジレンマ」を解決するには、いかに「三日坊主市場」というセグメントに行き着くかだ。
この場合、2通りの行き方がある。1つ目は、最初は「ダイエット市場」をターゲットにしていたが、やっているうちに「三日坊主市場」というセグメントに気づくケース。もう1つは、最初から「3日坊主市場」をターゲットにし、それに該当する具体的なセグメントをリストアップして、攻める順番を決めていくタイプだ。
RIZAPがどちらのタイプかはわからないが、日本企業に多いのが前者で、米国企業に多いのが後者である。たとえば、後者の代表例がアマゾンだ。
アマゾンのターゲット・セグメントはどこか
アマゾンは、よく知られているように、創業者であるベゾス氏がインターネットの成長性に目をつけ、書籍のネット販売を開始したのが最初である。世界最大の書店を謳い、リアルの書店ではできないサービスを取り入れ、急成長していく。書籍の通信販売で成功すると、次に音楽CDや映画DVDへと進出している。
アマゾンの場合、この展開は最初から計画されていたものだ。ベゾス氏は、実際に書籍のネット販売を開始する前に、次のような「セグメンテーション」と「ターゲティング」を実行している。
1.【要件定義】インターネット上で扱う商材が持つべき要件を9つリストアップ
2.【セグメンテーション】その要件に適した具体的な商材20をリストアップ
3.【ターゲッティング】20の商材のなかから、最初に「本」を選択
ここで大事なことは、STPの本質は、単に気まぐれに1つのセグメントを選ぶのではなく、体系的な構造を構想して、その最初の一歩としてどのセグメントを選ぶかというターゲッティングである。最初の一歩を踏み出してから次を考えるのではなく、最初から二の矢、三の矢を考えておくことだ。
最後に、読者の皆さんはすでにお気づきのように、ここで紹介したアマゾンの事例では、STPというフレームワークを「顧客」に適用したのではなく、「商材」に適用している。フレームワークも、教科書の内容を鵜呑みにせず、自らの創意工夫で修正していくことが成功への鍵といえる。
(文=宮永博史/東京理科大学大学院MOT<技術経営>専攻教授)