コーポレートガバナンス(企業統治)をめぐり、メディアからこれほど注目されたファミリービジネス(同族企業)も過去になかったのではないか。経営問題として報じたマスコミがほとんどだったが、久美子氏の経営手腕に対する評価はさて置き、「美人」「独身」といった点を興味本位に取り上げていたメディアも少なくなかった。案の定、記者会見では「独身」に関する質問はご法度となった。確かに、久美子氏は才色兼備である。父の勝久氏(創業者)もかつては、家具屋の娘であることをひっかけて「家具屋姫」と周囲に言い、溺愛していた自慢の娘でもあった。それだけ余計に世間の興味がそそられるのだろう。
だが、アングルを変えて見てみると、この世俗的興味もファミリービジネスをめぐる経営学の研究テーマになる。なぜなら、一昔前と比べても、「ファミリー」が大きく変化しているからである。
これまで日本的経営の長所として着目されてきた家族主義、集団主義、年功序列、終身雇用、企業内労働組合なども日本の伝統的制度であるファミリー(家)の概念から派生するものと考えられる。そのルーツをたどれば、「家」の制度は江戸時代の封建制度の中で熟成された。三島由紀夫氏が『葉隠入門』で描いているように、藩においては、人的な上下関係はなく、藩というものに対して忠誠を誓う関係が存在した。
ただ、日本的経営と一口に言っても、いつ頃の「家」を想定しているのかは厳密にいうと定かではない。少なくとも、社会学者エズラ・ボーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』がベストセラーになり日本的経営の長所が注目された1979年当時の日本企業のバックグラウンドにはそうした概念が存在していた。そして、日本企業が驚異的な成長を遂げた80年代も日本的経営はもてはやされたが、すでにこの頃には、日本においても、(第二次世界大戦)戦中戦後から続いた「家」の概念は変化し続けていた。
ところが、戦後生まれ世代が経営トップになった90年代頃から、株主重視、四半期決算、成果主義、人員削減など、アメリカ的経営が注目されるようになり、「失われた20年」の中で、従来型の日本的経営は鳴りを潜めた。その後、長期低迷に陥る日本企業を経営する人とそこで働く従業員が、どのような家庭のもとで育ち、今、どのような家庭観を持っているかは、意外にもあまり論じられてこなかった。
変化した「家」の概念
戦後、日本の「家」の概念は大きく変わった。その一面としてよく指摘されるのが、大家族から核家族への変遷、世帯類型別で単身世帯が最多になったことである。単身世帯の中身も複雑。高齢化に伴う老人の一人暮らしは珍しくなくなってきた。だが、そのほとんどはリタイアしている。仕事に携わっている現役世代に絞ると、その現状も多様である。