結衣と陽一は、かつて広が門倉と通っていたお好み焼き屋に足を運ぶ。広をかわいがってくれたという「よしさん」はいなかったが、よしさんの息子夫婦が広との思い出を話してくれた。よしさんにお好み焼きの焼き方や礼儀を教わり、常連さんに数学を教えてもらっていたと。広は決して門倉と2人きりの世界にいたのではなく、たくさんの人と触れ合って今があることを実感する結衣と陽一。
翌日、結衣と陽一は広に門倉の事件のことを伝えた。広はあっさりと受け入れ、「それだけ?」と言って2人を拍子抜けさせる。広に真実を伝えるという大仕事を終えた結衣は、門倉を呼び出して報告した。そして「もう二度と私たちにかかわらないでほしい」と絶縁状を叩きつける。そこへ広の学校から電話があり、広が来ていないと伝えられる。我先にと広に電話をかける2人。先に折り返しがあったのは門倉で、落胆する結衣だったが、電話の主は広ではなく若い女性だった。
演じる役者が気の毒
先週点滅した黄色信号が完全に赤信号になった第8話だった。見ていてストレスしか感じなかった。登場人物のキャラクターは崩壊するわ、ストーリーは破綻するわで、何を伝えたいドラマなのか、さっぱりわからなくなった。メインの登場人物の魅力を、脚本がぶち壊していくドラマを初めて見た気がする。
結衣は回が進むごとにどことなく嫌味になり、相手の気持ちを考えずに他人を深く傷つける。それなのに良い人のように描かれているところに違和感がある。門倉に関しては、前回では広への思いが彼女のエゴのようの描かれたのに、今週はまた広を愛しているように描かれている。よくわからない。
そしてずっと素敵だった西原莉莎子(板谷由夏)までも、夫に「母親は僕がやる」と言われた後に、これからは朝まで飲める! と喜んでいた。何か違う……。莉莎子は仕事を大切にしているけど、家族より飲むことを大切にはしないでしょ? と。結衣の違和感は沢尻の演技に原因があると感じていたが、それ以上に脚本がおかしいことを今回はっきりと感じた。演じる役者が気の毒にさえ思えてくる。
展開に違和感
物語を転がすため、視聴者の気を引くために、次から次へとあり得ない偶然が重なることにも完全に興ざめしてしまった。しかも色々とお粗末過ぎて、筋が通っていない。ネグレクトを隠したい上牧が車に大量のゴミを放置するか? と思うし、実子が命を落としても変わらない母親が、他人の言葉で一瞬にして真人間になるのも都合が良すぎる。極めつけは、門倉が偶然2人を目撃して上牧を尾行するところ。この展開は誰が見てもおかしい。
上牧の存在意義って何だったのだろう? 広をそっちのけて描く必要性があったのか?大事なものを描かず、いらないものを描いている印象だ。広と結衣の雪解けも中途半端だし、広の門倉への想いも、いつ、どこで、どうなったのかわからない。誘拐されたときは結衣を忘れ、今は門倉のことを忘れている広も何か変だ。
脚本の水橋文美江は途切れることなく作品を書いている人気脚本家で、『夏子の酒』や『ホタルノヒカリ』など、ファンも多いはず。その人がこんな脚本を書くことが、ただただ信じられない。
(文=西聡子/ライター)