NHK大河ドラマ『いだてん』の第19話が19日に放送され、平均視聴率は前回と同じ8.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことがわかった。
今回は、現代でも絶大な人気を誇る箱根駅伝の誕生について描く内容だと予告されていた。日本人初のオリンピック選手としてマラソン競技に出場した金栗四三が箱根駅伝の創設に深くかかわった事実はあまり知られていないが、大河ドラマとしては格好のネタである。盛り上がりに欠けたここ最近の回を我慢して見ていた視聴者も、箱根駅伝誕生の過程を描く回ならさぞかしドラマチックな内容になるだろうと期待していたはずだ。
ところが結論から言うと、その期待は大いに外れた。どうやら脚本の宮藤官九郎は、箱根駅伝誕生のいきさつを波乱万丈な成功物語に仕立てることには、まったく興味がなかったらしい。アメリカのロッキー山脈を越える駅伝の予選会を開くにあたり、平地より高地がいいだろうという金栗の発案で箱根駅伝が生まれた――という誕生秘話は、アバンタイトルの冒頭であっさり終了。肩透かしも甚だしい。
ちなみに前回も、ゴム底のマラソン足袋誕生というドラマにするのに格好のエピソードをあっさりスルー。金栗(中村勘九郎)が「足袋の底をゴムにしてほしい」と突然言い出し、足袋屋の黒坂辛作(三宅弘城)が後日完成品を持ってきた――という描写だけで終わらせてしまった。こうなると、なんの意地を張っているのかわからないが、クドカンは誕生秘話や開発秘話など、「紆余曲折の末に成功に至る汗と涙のエピソード」を描くのを意図的に避けているとしか思えない。つまり、ドラマとして盛り上がりそうなベタな展開を回避しているという意味だ。
もちろん、ベタな展開を避ける脚本が悪いわけではない。『踊る大捜査線』(フジテレビ系)の制作陣がそれまでの刑事ドラマの王道であった『太陽にほえろ!』を徹底的に研究し、その「王道展開」をことごとく避ける手法を採って大成功したことはドラマファンの間ではよく知られている。だが、前回の『いだてん』第18話は、「ゴム底のマラソン足袋誕生」というベタな盛り上がりポイントをあえて回避したものの、代わりになる軸のストーリーが存在しない、いわばヤマもオチもない回のまま終わった。
では、今回はどうだったのだろうか。視聴者の声は、賛否両論かなり割れている。「あえてわかりにくくしている」「視聴者を突き放している」といった批判がある一方で、「久しぶりにおもしろかった」「今回は落語が邪魔しなかった」「駅伝と落語がちゃんとかかっていて、よく練られていた」と称賛する声もかなり多い。
「わかりにくい」との意見は初回からずっと出ているが、今回、さらに一部視聴者を混乱させたのは事実だ。何しろ、古今亭志ん生(ビートたけし)の若き日・美濃部孝蔵を演じる森山未來が、突然志ん生の前に姿を現したのだ。「まさかのタイムトラベル?」と思った人も少なくなかったようだ。種を明かせば、この回で森山が演じたのは志ん生の若き日の姿ではなく、やはり落語家として活躍している志ん生の2人の息子たち。息子が父の若い頃に似ているのは当たり前なのだから、キャスティングとしておかしくはないが、かなりトリッキーだったことは否めない。
とはいえ、森山がこの回に限って、志ん生の息子を演じたことは字幕でも台詞でもしっかりと説明されており、これをわかりにくいと感じるようなら、ドラマを見るのをやめたほうがいいレベルである。
むしろこの場面については、森山の演技を絶賛する声が圧倒的に多かった。森山をここで起用したのは演出担当の大根仁の案だというが、これに応えた森山もすごかった。破天荒な孝蔵とは見た目も雰囲気も話し方も全然違うのはもちろんのこと、流ちょうで聞きほれるような語り口で2人の落語家をしっかりと演じ分けてみせた。「美しい」という言葉がぴったりである。視聴者からも「本当にすごい役者さんだと思う」「天才がいた」「とんでもないものを見せられた」「あれはバケモノだ」などと絶賛が相次いだ。箱根駅伝誕生秘話をあっさりスルーした分の代わりとなるヤマ場がこんなところに用意されていたとは、思いもよらなかった。
落語パート自体も、五りん(神木隆之介)が書いたネタをもとに第1回箱根駅伝の様子を振り返るというもので、本編としっかり絡んでいた。いつもは金栗を中心とした日本マラソン界の歴史をたどる物語をぶつ切りにして落語パートが入ってくることが多いが、これなら逆にストーリーが整理されて見やすくなる。
ここに、「駅伝の噺だから落語家がリレー方式で演じる」というネタをねじ込んできたのはクドカンらしいが、それによってこの第19話全体が、志ん生による即興のサゲ「マラソンのないオリンピックなんて、黒豆のないおせち料理みたいなもんです」できれいにまとまった。志ん生はこの回で何度もおせちに黒豆が入っていないことに不満を呈していたが、それが伏線だったというわけだ。ここまで見せ場たっぷりの落語パートを見せられては、箱根駅伝誕生秘話をあっさり終わらせたのも納得がいく。クドカンが描きたかったのはそこではなく、落語パートだったのだとはっきりわかるからだ。
駅伝の結末についても興味深い描き方がなされた。焦点が当たったのは優勝者ではなく、ゴール目前で転倒し、足をひきずりながら決死の表情でゴールを目指す2位の選手。昨年、骨折した駅伝選手が這ってたすきをつなぎ、賛否両論が沸き起こった出来事をほうふつとさせる。だが、劇中では四三をはじめ関係者も観客たちも、誰ひとりとして選手の体を心配しない。むしろ大声援を送り、ゴールの瞬間は皆で歓喜する。嘉納治五郎(役所広司)にブレーキを掛ける役回りだった岸清一(岩松了)ですらすっかり長距離競技のとりこになり、「こんな感動的なレースなら絶対(オリンピックで)やるべきです!」と嘉納に進言した。スポーツの持つ魔力に観客がいとも簡単に熱狂させられる様を、一歩引いたところから見事に表現したといえよう。
さて、次回は金栗が2度目のオリンピックに参加するものの、またもや結果を出すことができなかったところまでを一気に描くようだ。これまでの傾向から予想すると、金栗がマラソンを走る場面自体はヤマではないと思われる。クドカンはその代わりにどんな見せ場を用意しようとしているのか、大いに気になる。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)