1988年にジャニーズ事務所からデビューしたロックバンド・男闘呼組。1993年に活動を休止して以降はグループでの活動はほぼ皆無だったが、昨年に突然、29年ぶりの活動再開を発表。今月から7月にかけて全国ツアーも行われるなど、人気が沸騰しつつある。
3月24日放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)に男闘呼組がゲスト出演。ジャニーズ事務所とエージェント契約を締結している岡本健一以外のメンバー、前田耕陽、成田昭次、高橋和也はすでに同事務所を離れている。番組MCで元ジャニーズの中居正広とともに昔話に花を咲かせたほか、バンドとして再始動に至る経緯なども語った。
かつて、同じジャニーズの光GENJIや少年忍者とともに「少年御三家」と呼ばれた男闘呼組。ジャニーズといえばアイドルのイメージだが、男闘呼組はロックバンドとして活躍し、新たなファン層を獲得した。しかし、1993年6月に高橋がジャニーズを解雇され、バンドは活動休止状態に。その後、成田と前田も退所し、最後までジャニーズと専属契約を結んでいた岡本も、2021年11月からエージェント契約に切り替えていた。
そんな男闘呼組の4人が、昨年7月放送の『音楽の日2022』(同)のステージで29年ぶりに再集結。2023年8月までの期間限定で「男闘呼組 1988」として活動することも発表され、4月から7月には全国ツアー「男闘呼組 2023 THE LAST LIVE」も控えている。
「1980年代に彗星のごとく現れた光GENJIに10代の頃にどっぷりハマった世代は、今は40~50代になり、光GENJI解散後はまったくジャニーズから興味を失ったり、逆に他のジャニーズグループのファンとしてジャニヲタを続けたりと、さまざまな人がいる。復活した男闘呼組は、その両方の層からファンが生まれている。かつて10代の頃にジャニーズファンだった人々が、今では経済的にも余裕が生まれ、推しのグループとして男闘呼組に喜んでお金を使っているという印象を受ける。特に男闘呼組の活動時期は光GENJIとかぶっていたため、元光GENJIファンのなかには、熱狂的にのめり込んだ当時の感情を思い出し、懐かしさを感じて男闘呼組を応援しているという人もいる」
SMAPと男闘呼組
一方で中居は、男闘呼組の後輩グループ・SMAPとして1991年にジャニーズからデビュー。96年からは、中居に木村拓哉、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の5人で活動していたSMAPは、男闘呼組に可愛がられていたことも知られている。たとえば2004年放送の『ぴったんこカン・カン』(同)にSMAPが出演した際、木村は「一緒に遊ばせてもらいましたね、男闘呼組のみなさんには」と話し、また、岡本にギターをもらったことがきっかけで自分もギターを始めたなどと振り返っていた。
そんなSMAPも2016年12月末をもって解散し、稲垣、草なぎ、香取の退所後、中居も20年4月に独立。なお、昨夏の『音楽の日』生放送では中居が12年連続で総合司会を務める予定だったが、急性虫垂炎のため入院、手術を受けることになり出演は叶わず。しかし、『音楽の日』の事前収録では男闘呼組と再会を果たしており、自身の公式サイト「のんびりなかい」でオフショットを公開して「ほら~、超シブでしょ、エグいっしょ、イケオジでしょ~」などと嬉しそうにコメントしていた。
今回の『金スマ』では、『音楽の日』の収録時に中居が「男闘呼組」とデコレーションされたケーキを差し入れたという話も。さらに、中居は「その後、また年末に僕が調子を悪くして、番組をお休みしている時」に、男闘呼組の4人からメッセージを送られていたといい、その貴重なVTRも公開された。また、番組では再始動した男闘呼組のコンサート映像や、ファンのコメントも紹介。「夢の世界」「男闘呼組が復活した時に、自分の30年前の青春も帰ってきた」と喜ぶファンや、「私の影響で息子が(男闘呼組のファンになった)」と、親子で応援しているという人たちも。
「50代となったメンバーがそれぞれ『イケオジ』と呼べる渋さ、魅力をまとっている。そして、衰えぬロック魂がかつてファンだった人々を魅了しているだけでなく、新たなファンの獲得にもつながっているのでしょう」(週刊誌記者)
番組ではそのほか、1993年の男闘呼組活動休止は解散ではなかったものの、それ以来、4人が集まる機会はなかったこと、高橋や岡本は俳優業、前田はバラエティなどマルチに活動していた一方、成田はソロで音楽をやっていたなかで「過ち」を犯してしまったことを機に芸能界を引退し、地元の愛知・名古屋に帰っていたことなどが説明された。成田が一般人として働いていた間、ほかのメンバー3人は彼がどこで何をしているのか、まったく知らなかったという。しかし、高橋いわく「メンバーはずっと(成田のことを)探してた」そうだ。
そして2018年、成田のもとに高橋から10年以上ぶりのメールが届く。高橋は、古い知り合いと会った際に成田の連絡先を教えてもらうことができ、どこにいるか、何をしているかなどを聞くよりも先に「昭次 和也だよ。元気?」と送ったと明かした。その後1週間ほどして、成田も「和也 昭次だよ。元気にやっているよ」と返信をしたのだという。高橋は成田から返信があったことを喜び、前田や岡本にも「昭次から連絡がきた!!」と報告。19年になると、今度は岡本が成田に「男闘呼組の再始動ってどうなの? 昭次」と連絡したそう。
同年5月、男闘呼組主演映画『ロックよ、静かに流れよ』(1988年)の公開30周年記念イベントに出席した岡本は、メールで連絡を取り合っていた成田のコメントを発表。すると、成田の消息を気にしていたファンたちが大号泣したのだとか。岡本はその光景を目の当たりにし、また、「活動休止」の言葉に引っかかっていた部分もあり、成田に「再始動ってどうなの?」とメールを送ってみたのだという。
化学工場で働いていた成田
この時、成田は名古屋の化学工場で働くようになって約7年。「男闘呼組に対する想いとか情熱」もあったが、自身も再始動に参加することは断ったという。そんななか、2019年7月にジャニーズ事務所創業者・ジャニー喜多川氏が死去。同年9月、成田は久しぶりに上京してお別れ会に参列した際、岡本と27年ぶりに対面。その後、成田は前田とも再会し、カラオケにも行ったそうだ。岡本もまた成田とカラオケへ行き、男闘呼組の曲を歌わせてみたところ「めちゃめちゃ上手かった」「当時の歌よりも渋みが増して、『この歌声いけるかもしれない』と思っちゃった」らしい。
その後、20年8月にまずは「遊び」でスタジオに4人が集結。岡本は、この演奏時に「『もうこれは絶対いける』と思った。どんどん先が見えてったんですよね。男闘呼組が再活動して、コンサートしてるイメージがぐわってきた」という。以降、迷い続ける成田に対し、岡本も熱く誘い続けていたとか。成田は、お世話になっていた会社の社長の理解もあり、最終的には岡本の熱意を受け止め、再始動を決断できたそうだ。
昨年行われた再始動後のライブに参加したという40代女性はいう。
「私は小学生の頃に光GENJIにどっぷりハマって、当時は男闘呼組にはまったく興味がなかったが、再結成のニュースをきっかけにネットで動画をみたりしているうちに気になり始め、友人を誘って昨年のライブを見てから、完全にハマってる。うまく表現できないが、とにかく渋カッコいい。ちなみに私はメジャーデビュー前からSnow Manにもハマっているが、両グループの共通点はと聞かれると、ちょっと思い当たらない」
こうして再始動まで30年近くの年月が経った男闘呼組。その分、メンバーも並々ならぬ思いでステージに立つため、その姿がいっそうファンを惹きつけるのかもしれない。
(文=Business Journal編集部)