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田部康喜「会話のネタがつくれちゃう!? 新メディア時評」第4回

暴走できない石原、維新が誤った全国進出計画とブランド戦略

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「日本維新の会 公式サイト」より
 朝日新聞記者、ソフトバンク広報室長を経て、現在はシンクタンク・麻布調査研究機構代表理事を務める田部康喜氏が、気になる書籍やメディア報道の紹介を通じて、ホットなあの話題の真相に迫ります。

「暴走老人」ーー前民主党代議士である田中眞紀子の命名を、石原慎太郎は気に入ったようで、昨年12月の衆議院総選挙の街頭演説では、必ずといっていいほどこのフレーズを使っていた。

 太陽の党を立ち上げ、日本維新の会に合流して臨んだ選挙の結果、自民、民主に次ぐ第3党となった。

 維新との合流にあたって、「私は1回限りのショートリリーフ、あとは橋下さんにつなぐ」と語っていた石原が、首相の座を目指していたのは間違いないであろう。

「最後のご奉公」とも語っていた。終戦時の首相であった鈴木貫太郎になぞらえて、「平成の鈴木貫太郎になる」との見方も政界ではあった。

 総選挙前の各種世論調査通りに維新が支持を集め、予想議席が100前後になっていれば、自民党あるいは自公との連立の中で、石原総理の可能性はあったと私は考える。

 維新の失速については、メディアにおける、政治のプロフェッショナルたちの分析が多々あるので、それに譲りたい。ただ、それらは隔靴掻痒の感がある。大げさにいえば、プロの見方ほど、何か現実の社会から遊離しているように思えるからである。

●政党という商品販売戦略を誤った維新

 では、政党をひとつの「商品」と見立てて、総選挙を商品の販売合戦と考える視点から、論じてみてはどうだろうか?

 維新はまず、ブランド戦略で大きな過ちを犯したといえるだろう。「石原」ブランドと「橋下」ブランドの二重ブランドである。

 パナソニックとナショナルの二重ブランドの克服に、松下電器が半世紀以上もかかったことを考えれば、維新という政党を売り込むにあたって、このブランド戦略の誤りは惜しかったと考える。維新の選挙キャンペーンを統括する参謀の不在を想起させる。

 CEOが石原で、COOが橋下であったのだろうが、石原と橋下の組織上の役割分担が明確ではなかった。代表が石原、代表代行が橋下と、名目上はそうなっていたとしても。

 組織をいかにつくるのか? という戦略こそ、販売の成否を決めることを維新の事務方は知らなかったのではないか。政党もまた、企業と同じ組織である。組織論を確立していないものが、政党間の競争には勝てないし、仮に政権の座に就いたとしても、官僚組織を動かすことは難しい。

 経営学者ドラッカーのいう「マネジメント」の問題である。20世紀の産業社会は、マネジメントという概念を構築した。もとより、商業資本のなかにもマネジメントはあった。大店の主人と番頭、丁稚の関係もまたマネジメントである。ただ、産業社会は知的労働者を巻き込んでいくなかで、大組織を動かしていくマネジメントを確立していったのである。ドラッカーが指摘しているように、そのマネジメントは、NPOなど非営利の組織にも生かされなければならない。

●関西発祥の高島屋の教訓

 大阪発祥の維新をひとつの企業として考えるとき、「関西企業が、いかにして東京に進出していくべきか?」という戦略についても、過去の関西企業に学ぶべきだったのではないか。あまりにもその例は多く、学ぶべき教訓も多いのではあるが、百貨店業界の例を引いてみよう。

 関西発祥の高島屋は、東京では日本橋に高級百貨店を構え、東急沿線の二子玉川には大型ショッピングセンター、新宿駅南口にも大型店を進出させて、東京の百貨店と思っている首都圏の住民は多いのではないか? 東京では高島屋は、高級百貨店の代名詞である。ブルーミングデールズやハロッズといった欧米の百貨店に匹敵するといってもよい。