著:斎藤一人、柴村恵美子
サンマーク出版
ある人を評するときに「あの人は器が大きいよ」とか「人の上に立つ器量がある」などということがあります。
これは、おそらく言われると最もうれしい言葉の一つなのではないかと思われますが、そもそも人の「器」とは何なのでしょうか? そして、「器の大きい人」とはどういう人を指すのでしょうか。
『器』(斎藤一人、柴村恵美子/著、サンマーク出版/刊)はその名の通り、人の器とは何たるかについて教えてくれる一冊。
今回はその中から、本書の著者で「銀座まるかん」の創業者としてもしられる実業家・斎藤一人さんの考える「器の大きい人」の特徴を紹介します。
■必要ないことを「必要ない」と言えるのが器量?
そもそも「器」とは何なのでしょうか。
斎藤さんは、「器」とは我を外した、人間的な正しい考えのことを言うとしています。
たとえば、社員が社長よりいい車に乗っていたとします。本来なら社員がプライベートでどんな車に乗ろうがどうでもいいことなのですが、社長からしたら“おれよりいい車に乗りやがって”とおもしろくない気持ちになることもあるでしょう。
ここで、「そんなことどうでもいいよ」と言って、社員に好きな車に乗らせてあげるのが社長の器。それを素直に言えないのは、「我」が邪魔してしまっているのです。
どうでもいいこと、気にする必要のないことを、「どうでもいいよ」と言えるのが器の大きい人の特徴だといえます。
■「どうやって罰を与えるか」ではなく「どうやって許すか」
生きていれば、人から騙されたり、裏切られたりということもあります。そんな時にどう振る舞うかにも、その人の器が現れるようです。
戦国時代の武将、豊臣秀吉のエピソードにこんなものがあります。
ある時、秀吉が飼っていた鶴が逃げ出すという事件がありました。当然、鶴の世話をしていた人は打ち首か切腹を言い渡されることを覚悟していました。そこに秀吉がやってきて「鶴は外国まで飛んで逃げたのか?」と尋ねました。それに対して「飼っていた鶴だから外国までは飛んで行けないと思います」と答えると、秀吉は「日本にいるならうちにいるのと同じだ」と言い、鶴を逃がしたことへの罰を与えるようなことはしなかったのだそうです。
秀吉の器の大きさがよくわかるエピソードですが、自分が受けた仕打ちに対して「どう罰を与えようか」ではなく「どう許そうか」と考える態度は私たちにとっても学ぶところがありそうです。
■自分の機嫌は自分で取る
あなたが「器が大きいな」と思う人には、いつも上機嫌な人が多いのではないでしょうか。そして彼らは、他人に機嫌を取ってもらうようなことはせず、常に自分で自分の機嫌を取っているはずです。
自分の機嫌を取るとは、目の前の現実を「自分にとって一番いいことだ」と解釈すること。つまり現実をどう受け止めるかという問題です。これが上手にできればどんなことが起こっても腹を立てず、上機嫌でいられます。
世の中には思い通りにならないことが山ほどあります。それにいちいち腹を立てたり機嫌を損ねていたら、常に怒っていることになるでしょう。そんな人を周りの人はどう思うでしょうか?少なくとも「器が大きい人だな」とは思わないはずです。
本書には、自分の「器」を大きく、しっかりしたものにするために、物事をどう捉え、どう考えていけばいいかという心構えがつづられています。
人との接し方に悩んでいる人、小さなことにイライラしがちな人は、本書で語られている「器」の磨き方を参考にしてみてはいかがでしょうか。
(文=新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。
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