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退任した坂氏と自民党の因縁

日本郵政の坂篤郎社長を政府が更迭 郵政民営化をめぐる暗闘史

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日本郵政本社(撮影:Ons「Wikipedia」より)
 安倍晋三内閣は政府が全株式を保有する日本郵政のトップ人事について、坂篤郎(さか・あつお)社長(66)を退任させ、後任に東芝相談役で郵政民営化委員会委員長の西室泰三氏 (77)を内定した。6月下旬の日本郵政の定時株主総会で正式に決定する。

 日本郵政は安倍政権が発足する直前の昨年12月20日、元大蔵省(現・財務省)事務次官の斎藤次郎社長(77)の後任として、大蔵官僚OBの坂副社長を社長に昇格させた。26日に安倍新政権が発足する直前の駆け込み交代だった。

 政権移行期の人事にもかかわらず、自民党には何の説明もなかった。自民党は激怒した。官房長官に内定していた菅義偉幹事長代行(当時)が「財務省出身者によるたらい回し人事だ」と批判。石破茂幹事長も「政権移行期に大変重要な人事を行うことは許されない」と猛反発した。

 菅氏は官房長官就任後の今年2月の記者会見で「政治家は自分の発言に責任をもつべきだ」と述べ、坂社長を交代させる意向であることに変わりはないことを強調した。安倍晋三首相も「官房長官の発言は内閣を代表したもの。当然、重たい」と追認する姿勢を示した。

 だが、後任の社長の選考は難航した。安倍首相は民間からの起用を指示したが、日本郵政のトップの座が政争の具となってきたことから経済人は、そろって尻込みした。三菱東京UFJ銀行の畔柳信雄・元会長、野村證券の古賀信行会長といった金融界の重鎮は固辞した。現役の経営者や学識経験者も候補にあがったが消えた。結局、“財界引き受け屋”と呼ばれる西室氏にお鉢が回った。西室氏は「(社長を)やってくれといわれている」と認めた。

 西室氏は1996年~05年まで東芝の社長・会長を務めた。日本経団連会長の座を狙ったが果せなかった。東芝相談役に退いた05年、東京証券取引所会長に就任。10年に退任。現在、郵政民営化委員会委員長を務めている。

 久々に日本郵政社長という表舞台に立つわけだから意欲十分だが、いかんせん77歳と高齢。財界に人材が払底している内情をさらけだした。

 日本郵政は発足当初から政治に翻弄されてきた。小泉純一郎内閣は郵政民営化を重要施策に掲げた。しかし、郵政3事業(郵便、貯金、簡易保険)の民営化は行政サービスの低下につながるとして激しい反対論が野党はもとより、与党である自民党内からも噴出。郵政民営化法案は衆議院で否決される事態となった。

 小泉首相は民営化の賛否を国民に問うとして衆議院を解散。郵政民営化に反対した自民党の国会議員の選挙区に刺客候補を送り込む“劇場型選挙”で自民党が圧勝。05年10月14日、郵政民営化関連法は可決・成立した。

 06年1月23日、民営化の企画・準備を行う会社として日本郵政株式会社が発足。初代社長に元三井住友銀行頭取の西川善文氏(74)が就任した。元商船三井社長で日本郵政公社総裁の生田正治氏(78)はヤル気十分だったが外された。任期中に民営化の実現を望む小泉純一郎首相や竹中平蔵経済財政・金融・郵政民営化担当相と、経営者の立場から体制の切り替えにはかなりの準備期間を必要と主張する生田氏が対立。生田氏は日本郵政公社総裁を解任され、西川氏が郵政社長と公社総裁を兼務した。

 06年9月、郵政民営化を花道に小泉内閣は終わる。07年10月1日、日本郵政は郵便、貯金、簡易保険の各事業会社を傘下に持つ、持ち株会社の体制に移行した。

 だが、西川社長には逆風が吹きつけた。09年2月5日の衆議院予算委員会で、麻生太郎首相が「小泉純一郎首相(当時)の下、(郵政民営化には)賛成ではなかった」と発言し、与野党に波紋が広がった。麻生氏は郵政解散当時に日本郵政公社を所管する総務相だったからだ。首相と所管する大臣の考えが違っていたことを、暴露したわけだ。