鳩山邦夫総務相(当時)が「かんぽの宿」の一括売却問題を取り上げ、日本郵政の西川社長を追及して、郵政民営化見直しで麻生首相と歩調を揃えた。
この時、小泉元首相が反撃に出た。09年2月12日、自民党本部で開かれた「郵政民営化を堅持し推進する集い」に出席。「最近の総理の発言について、怒るというより笑っちゃうくらい、ただただ、呆れている」と麻生首相を痛烈に批判。久しぶりに小泉節が炸裂した。
この集まりに小泉元首相を担ぎ出したのは、郵政民営化の立役者である竹中平蔵氏だった。役者が数段上の小泉氏の一喝に、麻生首相は腰砕け。日本郵政の西川社長の更迭を主張していた鳩山総務相を罷免した。
時代は移る。09年8月30日の衆院総選挙で、郵政民営化の抜本的な見直しを掲げた民主党、社民党、国民新党の3党が勝利して、同年9月、民主党連立政権が誕生した。郵政民営化に反対して自民党を離脱し、国民新党を結成した亀井静香氏が郵政・金融担当相に就任した。10月20日、鳩山由紀夫内閣は、郵政民営化の見直しを閣議決定。民営化推進派である西川社長は「政府と(考え方に)隔たりがある」として辞任した。
亀井郵政・金融担当相が後任社長に起用したのが元大蔵事務次官の斎藤次郎氏だった。この人事には、小沢一郎・民主党幹事長(当時)の強い意向が働いたとされている。斎藤氏は大蔵官僚時代に小沢氏と二人三脚で「国民福祉税」構想をぶち上げたことで知られている。
斎藤氏は小沢氏に近かったことから自民党に目の敵にされた。昨年の衆院選で民主党が大敗し自民党政権に移行した。斎藤氏は自民公明の新政権に、辞任を迫られる前に機先を制して日本郵政社長を退任。6月の株主総会まで任期はあったが13年1月に取締役も辞めている。
バトンタッチしたのが大蔵省出身の坂篤郎氏だった。坂氏は小泉政権時代に内閣府の政策統括官、審議官として竹中平蔵・経済財政相の下に仕えた。竹中氏は霞ヶ関の害悪は財務省支配にあるとして、経済財政諮問会議を舞台に財務省の力を削いでいった。これに徹底的に抵抗したのが財務省の代表として内閣府に送り込まれていた坂氏だった。竹中氏と対立して農林漁業金融公庫副総裁に飛ばされた。冷や飯を食った後、内閣官房副長官補に返り咲いた。小泉氏の首相秘書官だった飯島勲氏が拾い上げたといわれている。
この坂氏が09年10月に日本郵政副社長に就任。就任早々、竹中色が濃い役員たちを次々、郵政から追放。日本郵政の民営化推進派の幹部はパニックに襲われた。この当時、日本郵政を仕切っていたのは人事と企画を所管していた坂氏だった。
菅・官房長官が坂社長の退任にこだわるのは、坂氏が、郵政民営化見直し法の成立に向け、各党間の調整で中心的な役割を担ったからだ。民営化推進派は(菅・官房長官も推進派の一人だ)、見直し論者の坂氏の続投を断じて認めるわけにはいかなかったのである。
(文=編集部)