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吉田潮「だからテレビはやめられない」(5月24日)

TBS『TAKE FIVE』、キャスティング良いのに、まったく心奪われないユルさ

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『TAKE FIVE 公式サイト』(TBS HP)より
 主要なテレビ番組はほぼすべて視聴し、「週刊新潮」などに連載を持つライター・イラストレーターの吉田潮氏が、忙しいビジネスパーソンのために、観るべきテレビ番組とその“楽しみ方”をお伝えします。

「愛」という言葉は不思議なもので、言葉にすればするほど偽善的で嘘くさく感じる。重みや気恥ずかしさがつきまとうし、そこに縛られすぎると本質を見失ったりする。その典型的なお手本が、NHK朝の連続ドラマ『純と愛』だった。あれはあれで朝ドラのイメージを覆す突破口的作品だったので、存在意義は十分にあった。が、その暑苦しさと白々しさがもたらす偽善感は煮ても焼いても食えなかった。そこは国民的合意だと思ってたのに……。

 この国民的合意をうっかりスルーしちゃったドラマが満を持して登場。『TAKE FIVE〜俺たちは愛を盗めるか〜』(TBS系)だ。伝説の泥棒集団「TAKE FIVE」、リーダーは心理学教授の唐沢寿明。「盗みには愛がなければいけない」と滔々と語る割に、犯罪者としての詰めがやたらと甘い。

 ホームレス風の婆さん(倍賞美津子)に盗みをけしかけられるわ、「TAKE FIVE」に愛憎をもって拘泥する刑事(松雪泰子)から早々に目を付けられるわ、こともあろうか盗犯係の刑事(稲垣吾郎)を仲間にしちゃうわ、他のハイレベルな泥棒集団や女泥棒(黒木メイサ)にコケにされるわ。愛なんて語ってる場合じゃないでしょ。こんなに誰からもアクセス容易で、ゆるゆるの泥棒集団で大丈夫!? もっと泥棒としての自覚をもってよ! 

 盗みの手口も、防犯カメラや警報システムのハッキングとか、パスワード解析とか、いちいちすべてが電力頼り。スポンサーが電力会社なのかしらと思うほど、電気、電気、電気。電気がなければまったく役に立たない泥棒集団って。ゆとり世代か。

 ところどころに、名作映画のワンシーンを明らかに想起させる場面も小賢しく投入。『アンタッチャブル』の乳母車階段落ちスローモーションとか、『ミッション:インポッシブル』の床上数センチ平行吊りとか。パロディにしてはウィットが効いてないし、オマージュにしては軽すぎる。「いまさらコレかよ!」感が強く、目新しさはまったく感じられない。

 泥棒に「愛」という名の理屈を持たせて、盗みを正当化しようってところにそもそも無理がある。泥棒が空気読みすぎて、優等生になってどうする!? その完成度の低さ、甘さ、思い切りの悪さに、視聴者としてはちっとも心を奪われない。

 本当はすごく期待をしていた。最近絶不調のTBSドラマだが、唐沢寿明が主演だし。無駄にハイテンションで軽快で小気味よい悪党の話だとばっかり思っていた。JUJUの歌う劇中歌「Take Five」も、子供の頃から大好きで、一時期は携帯の着信音にしていたほど。でも、開けてみれば、ほれ、この体たらく。期待しすぎちゃったんだな、私が。

 せっかくいい役者をうまいことキャスティングしているのに、歯がゆい、もったいない。“隔靴掻痒”ってこういうことだ。だって、謎のホームレス婆さんといえば倍賞美津子だし、無愛想トラウマ女といえば松雪泰子、潔癖症と言えば稲垣吾郎、軽犯罪者といえば六角精児、盗人猛々しいといえば黒木メイサ、金の亡者といえば花田虎上。レギュラーもゲストも、こんなにイメージぴったりの配役って、なかなかない。逆に「そうきたか!」と思わせる意外性も。でんでんが盗犯係の理解ある上司役とか、冷酷無比な泥棒役に峰竜太とか。峰って俳優だったんだっけ、と思い出した次第(職業は和田アキ子の付き人だと思ってた)。

 たぶんいろいろと引っかかる部分(倍賞や稲垣の立ち位置)が今後解明されていくんだろうけれど、すでにそこに興味ナシ。唐沢の酔狂コントだけを楽しみにするか。
(文=吉田潮/ライター・イラストレーター)

●吉田潮(よしだ・うしお):
ライター・イラストレーター。法政大学卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。「週刊新潮」(新潮社)、「ラブピースクラブ」(ラブピースクラブ)などで連載中。主な著書に『2人で愉しむ新・大人の悦楽』(ナガオカ文庫)、『気持ちいいこと。』(宝島社)、『幸せな離婚』(生活文化出版)など。カラオケの十八番は、りりぃの「私は泣いています」、金井克子の「他人の関係」(淫らなフリつき)など。